水で生きる

生命は水から生まれた。水は水素と酸素で出来た最も簡単な化学分子、でもとても不思議な奇跡的とも言える性質を持っていて生命の根幹を担っている。例えば人間は体重の70%が水である。水が無ければあらゆる生命は存在し得ない。そんな水だから人には潜在的に水に対する憧れと渇望があるように思う。前回の雲も水だったが、今回は地上の生き物がどんなに水と美しく調和しているかを見てみよう。

蜘蛛の巣
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ここには蜘蛛の姿はない。でも蜘蛛の作った小さなネットが朝露に濡れて光っておりネックレスのような美しさをさりげなく演出している。見落としてしまいそうな小さな事象だが私達の身辺にはこんな奇跡が沢山ある。愛をもって自然に接すると色んなものが見えてくる。

春の水辺
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水蘚が朝日を浴びて光っている。よく見れば無数の子実体を伸ばしている。ここには水の姿はじかには見えないが水が画面に生き生きと輝きを与えている。

水面
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きらめく夏の太陽、水の表面張力を巧みに捉えて水面に大きな波紋を描いて自在に滑るアメンボ、見飽きぬ自然のショーだ。アメンボを通して母なる水の豊かさ、柔らかさ、包容力を表現してみたかった。素早く滑走する小さなアメンボをアップで捉えるのは難しい。救いは十分な光があることだった。でも明るい直射日光の下では液晶画面は見難い。とくにこの時は旧型のNikon Coolpix 950の暗い画面だったから心眼を見開いて、AFを信頼してシャッターを切り続けた。
余談だが近頃は人の流す洗剤のために水の張力が減少しアメンボの住めない池や川が広がりつつあると聞く。自然の発信する警鐘に人はもっと敏感でなければいけない。

土筆
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長い冬が去って桜咲く春、野にはツクシが一斉に顔を出す。一年で一番心楽しい季節である。朝露のびっしり降りた早朝、朝日にきらめくツクシの群れを逆光で狙った。春特有の柔らかい日差しが穏やかな画面をつくってくれた。日の当った水滴はたちまちに蒸散する。勝負は日の出後30分である。水滴の輝きを捉えるには逆光にかぎる。注意点は太陽の光をじかに画面に入れないこと。そうすれば露出はAEまかせでよい。私は中央重点測光を選択しているが、この写真では真中のツクシに合わせている。露出やピントに不安がある時は液晶画面で確認しながら何枚も撮ることである。この写真は可動式液晶モニターを備えたNikon Coolpix 5700で撮ったから低アングルが楽にとれた。
ツクシの姿は環境に敏感である。この写真のようにのびやかでおおらかなツクシが何時までも見られることを願っている。

ムラサキケマン
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早春の頃、林縁に控えめに咲いているケシ科の植物。分類的に近いケマンソウが仏具の華鬘に似るところからこの名になったという。柔らかい葉に芹のような深い切れ込みがあって葉縁にはぎざぎざがある。早朝の霧がこの葉縁に凝結して自然の造形の妙を見せていた。水玉は美しい。葉を縁取る水玉の行列はとくに眼を惹く。このような水玉は鋭いぎざぎざの葉縁を持つバラの葉にも見られる。

晩秋
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忍び寄る冬、冷え込んだ晩秋の朝、朝露は静かに降りる。枯れたカゼクサでさえも命を与えられたように光り輝く。ここで命は終わりはしない。来春には新しい生命が息吹くことを皆で心待ちにしていよう。

何時だったかテレビで砂漠で生きる昆虫(名前は忘れてしまった)の映像を見た。その昆虫は自分の翅に降りた夜露を樋のような翅で巧みに集めて飲むのだった。水と生命の関わりを見ていると地球の大切さが良く分る。
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by namiheiki | 2005-08-16 19:05 | デジカメ談義
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