野の花を撮る

花は野にある時が一番美しい。しばしばはっと心を惹かれのは何でもない路傍の小さい草花である。彼らは何気なく季節を知らせてくれる。土の匂いがして心が通う。その素朴さ、可憐さ、健気さ、逞しさには心を打たれるものがある。

彼らの姿は季節、時間と共に刻々と変化する。だから私は野の花を撮る時はその花の置かれた環境、自然の情景を写し込むことを心がけている。花に焦点を合わせてはいるが表現したいのは花の咲く自然である。花だけ撮ってもつまらない。それは美しいかもしれないが生命の営みが感じられない。花屋や室内の園芸品種は人工のアクセサリーと同じに見える。

デジカメの出現は衝撃的だった。小さなCCDを持つデジカメはそれまでのフィルムカメラに無かった深い被写界深度を持っていた。だからマクロ撮影が容易になったし、小さな野の花でもクローズアップしながらバックの風景を写し込むことが可能になった。最近デジタル一眼レフが普及してデジカメもフィルムカメラに逆戻りした感がある。それはそれなりの意味があると思うが小型CCDデジカメの優れた長所は決して無くならないだろう。

早春の朝
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朝露を浴びたホトケノザ、春特有の靄に包まれた柔らかな空気感。バックはぼけてはいるがこうした情景を十分に伝えている。ご存知のようにこの花は長さで1cmほど、フィルムカメラではバックは完全にぼけて何も分らないだろう。また回転式のレンズを備えるデジカメは低アングル撮影を容易にした。目線を花のレベルに持っていくことで花との対話が可能になる。この花を上から撮ったらつまらない写真になったことだろう。(Nikon E950)

水辺
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春、木々の中で真っ先に芽吹くやなぎ。新芽と思っていたが、こんな可愛い花とはそれまで知らなかった。2cmほどの花穂にピントを合わせながら、水のある柳の周囲の情景をはっきりと描写することが出来た。(Olympus C900)

田植え時
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今年一番に見つけたツユクサ。田植えの終った畦道に一つだけ咲いていた。何時見てもこの小さなブルーは上品で楚々と美しい。今年も田の季節になったことを実感する。私の画像は多くの場合バックに空が入っている。地平線を入れることで画像に奥行きと無限感が生まれる。(Nikon E5700)

蓮華草
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今では田んぼでも殆んど見かけなくなった昔懐かしいレンゲの花。一つの花をこれだけ大写ししたにもかかわらず農家の屋根も入れてレンゲの群落を表現することが出来た。欲張った写真だがこれは決して嵌めこみではない。(Nikon E950)

タンポポ
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見慣れた何処にでもある花だが、この年になっても強い愛着がある。それは子供の頃の懐かしい記憶と深く関わっている。そんなことをイメージしながら駆ける子供と両親の姿を入れた。背の低い野の花のバックに人影を入れるのはアングル的に難しい。(Nikon E5700)

落日
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夕陽をまともに撮らなくても落日は表現出来る。美しいのは太陽そのものと言うよりはその光によって浮かび上がる自然の佇まいであるからである。ここではまともな逆光を厭わず、光る路傍のタンポポの綿毛に焦点をあてた。(Nikon E5700)

チコリブルー
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このメランコリーな花に始めて出会ったのは青森の竜飛岬だった。宿のお姐さんに聞くとキクニガナだと教えてくれた。憂愁に満ちたこの花の美しさをどうやって表現したものか。結局、岬一面をブルーに染めるこの花の群落をバックに一輪の花をアップで捉えた。調べてみるとこの花は英語でchicory、早速このメランコリーな色をチコリブルーと名付けた。(Nikon E950)

タチツボスミレ
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デジカメ一眼レフで撮るとこうなるという例、ピントの合っているのは一つのスミレだけで他はみんなぼけている。辛うじて森の中であろうことは光の加減から判断できる。好き好きだがムードがあっていいという向きもあろう。一眼レフで背の低い草花を取るのは難しい。この時もアングルファインダーを使ったにもかかわらず地面に跪いて顔をこすりつける感じだった。(Nikon D70, Micro Nikkor 60mm)

ノボロギク
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マクロ画像が続いたが必ずしもそんな写真ばかり撮っているわけではない。花からものの1mも離れると画面全体にピントの行き渡った画面を作ることが出来る。この群落はそんなに大きなものではなかったが、広角レンズのアングルの取り方で実際よりも広く見せることが出来た。出来ればもっとワイドなレンズが欲しかったところである。ポイントが欲しくて自転車通学の女学生が通るのを待ってスカイラインに入れた。これでなにか夢のある画面になった。(Nikon E5700)

サクラソウ

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秋が瀬の桜草の自生地に出かけた。自生地とは言えすべては人が植え育てたものである。大変な人出で後悔したが低アングルをとって人影を隠した。これも少しカメラを引いたので全面にピントが行き渡っている。勿論手前のサクラソウにピントを合わせているが後方に深い被写界深度のせいで遠景までピントが合った。(Nikon E950)

ナズナの原
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この写真はオーソドックスでなんのてらいもない。あるものをそのまま素直に撮ったに過ぎない。でも群生するナズナの波打つビロードのような柔らかさが心地よい新鮮な感覚を与えてくれた。遠景の木立や神社の鳥居もいい。この写真をホームページに載せたら、あるビデオプロダクションから来年ここでロケをしたいから場所を教えてくれという依頼があった。勿論教えてあげたが来年同じナズナが生えるとは限らないことを付け加えた。案の定、次の年にはナズナは殆んど生えなかった。自然は待ってはくれない。同じ光景は二度と現れないと言ってよい。(Nikon E950)

花だけをいくらきれいに撮ったところで所詮花の写真に過ぎない。花のある自然や環境を写しこむことで生活や情景が生まれ、物語が生まれる。私はどんな小さな野の花も摘んだことがない。花は野にある時が一番美しいからである。
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by namiheiki | 2005-09-05 22:40 | デジカメ談義
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