幻想的な写真を撮る

幻想的な絵画や写真を好む人は少なくない。何故だろう?それはきっと心の中で現実には叶えられない純粋さや優しさやロマンを求めているからではないだろうか。

幻想的と言えば霧、秋が深まると朝霧が降りるようになる。先だっての霧の日に撮った写真である。
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このスズカケの木は大木で何度かトライしたが気に入った写真が撮れなかった。この朝は折からの霧で周囲の木が隠されスズカケの木だけが浮かび上がっていた。木の大きさや特徴を表現するのに必ずしも木全体を写しこむ必要はない。特徴的な一部を切り取って全体を想像させた方が大きさを表現出来る場合もある。またシンメトリーに真中に配置することで力強さを出せたように思う。(もっともほんの少しだが右に寄せている。それは葉の密度が右の方が少し重かったからである)

同じ日、霧の上がる前に林の中のコウヤボウキのところに行ってみた。やはり霧の中では同じコウヤボウキもしっとりと潤んで夢幻的に見える。バックの空気感が違うのである。
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同じ霧でも川霧は川の表面だけに霧が出る。川の水の温度よりも空気が冷たいからである。高い山の上から雲海を見るような感じで幻想的な風景に一変する。整いすぎてちょっと絵葉書的だが昨年の晩秋に現れた見沼の芝川の霧である。
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この時は霧が上がるまで何十枚かシャッターを切った。それはスライドショー「川霧」にまとめてある。スライドショーは言ってみれば組み写真で一枚では表しきれない動き、時間経過、情景を表現するのに役立つ。幻想的な雰囲気を出すには画面の切り替えはフェードイン、フェードアウトにかぎる。

「引算」でも出たが霧はバックを省略してくれるから普段では撮ることの出来ないすっきりした画像を提供してくれる。それは同時に非現実的であり幻想的であることに繋がる。チカラシバやエノコログサは霧の日はたっぷりと細かい露をつけ、逆光で信じられないような銀白色に変身する。
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霧にかぎらず朝露も夢幻的な情景を演出する。作例は打ち枯らした荒野の風景だがカゼクサに宿った朝露が美しく修飾してくれた。
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霧ばかりでなく朝晩の風景は幻想的な雰囲気を醸す。それはやはり光の向きが水平に近いこと、言い換えるとそれだけ厚い空気の層を通過した光であることによるのだろう。ご存知のように朝焼け、夕焼けはしばしば幻想に満ちた風景を演出する。
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一歩突っ込んでtwilightの世界も不思議な美しさに満ちている。ここでは薄明の醸す神秘的な雰囲気を感じる一例をあげる。季節外れの12月、奥日光の湯の湖で曇り日の未明に撮った一枚である。立ち木にカメラを押し当てて二分の一秒のスローシャッターを切った。
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花や野草にも幻想の世界はある。彼岸花についてはすでに紹介した(「彼岸花の幻想」、「水と彼岸花」)。
タンポポやチガヤの綿毛は幼年期への郷愁をかきたて幻想的である。綿毛を撮るコツはハレーションを恐れず逆光で狙うことである。すでにアップ済みの組み写真、ダンドボロギクの「旅立ちー微細なものを撮るー」も良い例と思う。
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花のアップでも光の扱い方一つで幻想的に撮れる。作例はごくありふれたミズキの花だが葉陰からの漏れ日が平凡な画面を一変させた。
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これも何のこともないヘクソカズラだがバックの水路に反射する光で引き立てられ、同時に花の置かれた環境が説明されている。
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「水と彼岸花」でも述べたが水面に映る光と影はしばしば幻想の世界に誘ってくれる。次の作例は早朝水面から飛び立つアオサギの姿である。飛び散る水滴が幻想と現実を繋いでいる。
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最後に「これなあ~に?」と重複になるがハゴロモの幼生の一枚を挙げさせていただきたい。撮った時は何かも分らず半信半疑でシャッターを切ったのだが森の中のミズヒキの上でペアでダンスを踊るまさに妖精の姿だった。こんな予期せぬことが起こるから写真はやめられない!
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by namiheiki | 2005-11-03 23:03 | デジカメ談義
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