カテゴリ:デジカメ談義( 30 )

木を撮る(6)

変わった撮り方

長々と談義を続けて退屈された向きも多いと思う。この辺で「木を撮る」シリーズを終りにしたい。最後に変わった撮り方をご紹介して締めくくりとさせて頂く。

ヤナギ

風に揺れる早春のヤナギの芽吹き、誰でも撮りたくなる被写体だがこのしなやかな美しさを表現するのは結構難しい。作例は実験的なこころみである。暗いバックを選んでヤナギの一部を切り取った。露出を絞りかつレタッチでコントラストを極端に強めて枝のカーブを強調してみせた。木の幹すらバックに沈んで見えず、しだれ枝の質感は失われてしまったがこれはこれでシュールなパターンとして見られるのではなかろうか。
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梅が枝

ここでは梅が枝の実体はほんの一部しか写っていない。写っているのは昔風の白壁に映る梅が枝の影である。でもそれが故に梅が枝の繊細な枝振りの全容がかえって強調出来たように思う。
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長屋門

最後にお見せするのはごくまともな写真である。旧家の長屋門の屋根から覗く中庭のハクモクレン、変な撮り方でも何でもないが屋根越しに見える木の上部が屋根瓦とマッチして格調ある趣きをかもしている。これは被写体そのものが持つ魅力である。写真はやっぱり足で撮るものと言うべきかもしれない。初心に戻れというのは写真でも本当らしい。
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by namiheiki | 2008-12-22 22:34 | デジカメ談義

木を撮る(5)

シャッターチャンスを生かす

木は動かないけれど勿論シャッターチャンスはある。季節、気象条件、時間でその装いと表情を一変するからである。作例をお見せするのが手っ取り早いだろう。

アカシデの芽吹き

早春芽吹き始めたアカシデ、枝振りの良い梢に前夜の雪が辛うじて残っていた。赤味のある枝に点々と残る白い雪が気持ちの良いコントラストをつくっていた。こんな時間は長くはない。雪が無かったら平凡な写真となるだろう。
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ハクモクレン

白い霧の中のハクモクレン、暗い杉木立をバックに仄かに浮き出してみえる。霧の醸す情感だろう。20分後には霧は上って平凡な風景になった。
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イイギリ

木の仰角撮影はよく見かける構図で力強さを表現するのによい。ここではイイギリの赤い実のマスを表現するためにすっかり葉を落とした12月下旬の時期を狙った。時期は長いようだがある日あっと言う間にヒヨドリが食い荒らしてしまうので油断は禁物である。もっともヒヨドリが啄ばむ姿も絶好の被写体であるが。撮影にあたっては赤い実に十分順光の行きわたるある程度日の傾いた時間がが赤も強調されて効果的である。逆光は禁物である。
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メタセコイア

好きな木で何度も登場して恐縮だがメタセコイアの紅葉が映えるのはやはり朝か夕方の色温度の低い斜光である。作例は朝霧も手伝って外国のようにきれいな風景になった。霧の出る日は一年に何日とは無いし早朝の短時間に限られる。チャンスは準備の出来た人にしか訪れない。
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エゴノキ

桜を始め花の咲く時期は勿論シャッターチャンスであるが、ここではエゴノキを紹介したい。この木は林縁にあることが多く葉が展開してから下向きの白い花を沢山つけるから森のシャンデリアと言われる。仰角撮影が一般的であるがここでは敢えて真横から撮ってみた。花の白が縁取って普段は他の緑に埋もれて樹形の目立たないこの木の形を浮き上がらせてくれた。
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by namiheiki | 2008-12-20 11:27 | デジカメ談義

木を撮る(4)

広い風景をバックに撮る

広い風景の一部として木を撮る時、主題を明確に木に置く事がポイントとなる。漫然と撮ると木は風景に埋もれてしまう。それにはやはり木を画面いっぱいに入れることである。主題は木であることを忘れずに風景はほんの一部でもよい。でも木が置かれた環境を説明するためにおろそかには出来ない。

残雪の八ヶ岳の遠望できる桜咲く4月下旬の日野原高原、山も桜も両方撮りたい。ここは思い切って広角で桜の並木を画面一杯に入れた。当然八ヶ岳は小さくなるがそれでも存在感はむしろ強調されて遠近感とスケールの大きさを出せたと思う。
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次の例は見沼の畑、代用水路脇のエノキが黄色く黄葉した11月、遠くの桜並木も赤く紅葉している。主題は勿論エノキである。広角で十分に大きく入れ、かつ低アングルで樹形を空に浮き上がらせた。遠景の風車や桜並木は画面下部にやっと入るだけである。秋らしく適当に薄雲のある空にも助けられてエノキを主題としながらもスケールの大きな風景になった。
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次の例は早春の公園のシダレヤナギ、花芽を出し始めたしだれ枝とヤナギの並木とを同時に撮ろうという欲張った試みである。ここでは枝を画面一杯にいれ、ヤナギ並木の全体像を小さく画面下部に入れた。ここでも広角レンズがものを言った。焦点深度が深い特性で近くの枝や花芽にピントを合わせたのだが遠方のヤナギまで十分描写してくれた。ヤナギに風と言うが風で揺れるヤナギの枝はカメラ泣かせである。出来るだけ高速シャッターを切ることも必要である。
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梅園では花をアップで狙う人が多い。ここでは枝振りを主眼に梅園全体の雰囲気を出したかったのでこんな構図になった。梅の下には沢山の梅見客が居たのだがうまくカットすることが出来た。
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by namiheiki | 2008-12-15 21:46 | デジカメ談義

木を撮る(3)

シルエットで撮る

前回は斜光の美しさをお見せしたが、逆光の空をバックに撮ると当然ながらシルエットになる。普通は嫌がる光線だがこれも利用の仕方で木の特徴を際立てる道具になる。

木の特徴がもっとも現れるのは葉を落とした冬の木立である。最初の例は形の面白さで見せるものだが竹箒を逆さに立てたような細長いサルスベリの並木の枝ぶりが主題である。全体に同じ形の繰り返しでパターンになっている。こんな時パターンを壊す余計なものが写り込まないようにカメラアングルを工夫する。(この場合邪魔な電柱をなるべく木の影に隠すように) シルエットを引き立てるために日没時の空の色のグラデーションを利用した。
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樹形は勿論大事だが同じように大切なのはバックになる空の表情である。これによって写真の雰囲気が決まってくる。次の二例は小さなハンノキだが夕焼け雲や夕日そのものが決定的な役割を演じている。
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次の例は旧家の屋敷門脇に立つムクの大木である。20m以上もあるこの木はさいたま市の天然記念物に指定されている。春先のまだ芽吹く前、独特の丸い樹形を沈む太陽をバックに撮った。
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逆光でなければシルエットにならないわけではない。次の例は同じムクノキだが左手のウメノキともども朝霧のためにシルエットに見える。
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次も同じ朝霧の風景であるが順光であるにかかわらず霧で手前の夫婦松にはまだ陽が当たっていないのでシルエットになった。霧のためにバックは単純化され松は浮き上がってみえる。
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これも朝霧の撮影、公園の池畔に立つ芽吹き始めたヤナギの木立。霧のためにシルエットの濃淡で遠近感が描出され、淡い色彩にも助けられて柔らかな早春の雰囲気が出たように思う。
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by namiheiki | 2008-12-13 16:01 | デジカメ談義

木を撮る(2)

光を生かす

木に限らないが光で木の表情は一変する。特に朝や夕方の光は木の梢だけに当たるから効果的である。全体に当たった光は散漫で平凡だが一部分だけに当たった光は存在感を強調する。最初の例は真冬の鹿沢高原、朝もかなり遅い時間だがやっと山の稜線から現れた太陽が斜面の落葉松林の霧氷に当たり始めたところを狙った。
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次の例は今が落葉のシーズンのメタセコイアである。最初の1枚は朝日が梢の先端に当たり始めたところ、二枚目は沈む夕日が梢を照らすところを木全体を仰角で狙った。色温度の低い光のせいでメタセコイアの茶色い葉は鮮やかなオレンジ色に輝いて印象的である。この木は広葉樹が上から落葉を始めるのに対し下葉から落葉するのも面白い。
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by namiheiki | 2008-12-11 18:00 | デジカメ談義

木を撮る(1)

なみへいの遊山デジカメ談義も心ならずもここ1年ほど留守にしてしまった。今回は木をテーマに取り上げてみたがいっぺんにと言うとつい億劫になるので数回に分けてこのテーマに挑戦することにする。

風景写真では必ずと言って良いくらい木が入ってくる。また木に咲く花や実は数多く写真に撮られる。でも木そのものをテーマに撮ることはあまり多くは無い。かく言う私も実は木を撮るのは苦手である。と言うかそれほど木に興味がある訳でもないし知識がある訳でもない。しかし長年撮りためた画像を見ていると木の表現で何かが言えそうな気もして来た。いくつかの作例について自分なりの感想を述べてみる。

いきなり驚かすような写真で恐縮だが、これはもう10年も昔に撮ったケヤキである。まだ寒が早春の気配が感じられる2月、裸のケヤキの木肌が美しいと思ったので素直に真正面からカメラを向けた。夜来の雨があがって林は靄っていたが濡れた木肌はあっと思うほどきれいだった。乾いた何時もの木肌は白く味気ないがこの時は生命に満ち溢れた艶やかな肌だった。カメラは斜に構えるより堂々と真正面から狙いを大きくとると迫力が出る。左右の僅かな空間だけで林の中であることは十分わかる。
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真正面から撮るという意味では次の二例も参考になろう。最初の画像は広い野に立つ茶に紅葉したクヌギの大木、二番目はテニスコートに植栽されたこれもきれいに紅葉した楓(モミジバフウ)である。木全体を写したくなるものだがカメラを引いてしまうと迫力が無くなる。全体を入れなくても見る人は木全体を想像してくれるものだ。見る人に想像力を働かせる、それが狙い目である。画面の8割を木が占め、下部の小さなスペースで背景を見せる。木のある環境の説明はそれで十分なのである。
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次の例は公園のアメリカスズカケノキであるがこれは「引き算」で登場させたことがあるのでこれ以上の説明は省略する。
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とは言うものの木全体を撮ることも無いわけではない。次の例は銀杏の黄葉であるが、これはまったく逆に黄色い銀杏を小さく画面の真ん中に入れることで美しい落葉の黄に目が行くことを期待した。左の桜の木は無くもがなと言いたいところだ。
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by namiheiki | 2008-12-09 17:31 | デジカメ談義

風を表現する


生命の宿る地球の環境をつくっている要素は太陽と水と空気である。太陽と水は見ることが出来るが空気は見えない。空気の動きである風も目で見ることが出来ない。勿論レンズでも見えないしカメラで写すことは出来ない。むしろ風はしばしば撮影の大敵である。風で揺れる花はピンボケになる。風に押される身体はカメラのホールドを難しくする。

しかし風が無くなったら風景写真は大いにその表現領域を失うだろう。風を表現することで写真に動きが出来、写真が生きてくる。視覚で風を感じて人の肌を刺激するのだ。

ではどうしたら風を表現出来るのだろう。風そのものは写すことは出来ないが風のもたらす象を写すことは出来る。風にそよぐ木、葉、草、花、波立つ水面、風に流される雲などである。そんな視点で過去の何枚かの写真を春から冬へ季節順に並べてみることにしよう。


春の嵐

柳に風、昔から変わらぬテーマではある。あえてこの陳腐なテーマに挑戦してみた。季節の変わり目、三月にはよく強い北西の風が吹く。川沿いの芽吹き始めたシダレヤナギを材料に強風を真横から狙った。
風は凄まじく吹き飛ばされそうで腰を屈めてやっと身体をホールドした。幸い好天で明るかったから早いシャッター速度を選ぶ事が出来た。吹き飛ぶ雲の位置も考慮したが、ポイントは手前の柳の枝の一部を画面上部に入れたことである。これで奥行きのあるダイナミックな画面が出来たと思う。ちなみにこの部分を隠してみると平凡な写真になってしまう。
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花吹雪

春風に散る桜、あまりに有名なテーマだが気に入った写真が無い。それだけチャンスに恵まれることが難しいということかもしれない。気に入らない写真だが他に適当なものがないのであえて載せる。来春にまた挑戦してみよう。
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鯉のぼり

心地よい薫風、爽やかな五月の空に泳ぐ鯉のぼり、日本ならでは風物詩である。定番だが風の表現でこれほど鮮やかなものは少ない。
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稲穂

七月、早稲の穂が出揃った。夕風に波打つ稲穂の光と影の織りなす模様は美しく波の形時々刻々に変わる。これは実際に十数枚撮った中の一枚である。寄せ集めてアニメーションを作ってみた。
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夏雲

ぽかりぽかりと等間隔で流れて来る雲、リズミカルな雲の行列にのどかな南の風を感じて頂けるだろうか。
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オーツクの風

七月だと言うのにオーツク海の風は冷たい。荒れた海の白い波、風を切って飛ぶオオセグロカモメの編隊。冷たい北風を感じていただければ幸いである。
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北風

秋台風が足早に去って大陸の高気圧が張り出した。冬を思わすような北風が吹きつける。夕日をバックに千切れ雲が次々に通り過ぎる。風になびくエノコログサが季節感を醸す。
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綿毛

風が吹いて実を結んだタンドボロギクの綿毛が一斉に舞い上がる。ファインダーを覗くとそこはお伽の世界だった。
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川面

初秋の川面を吹き渡る風、美しい波紋に爽やかな風の足跡を見た。セイバンモロコシの穂を入れることで季節感を出したかった。
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秋風

今年は猛暑が続き彼岸だというのにまだ真夏日が続く。でも夕刻にはほっとするような爽やかな風が吹くようになった。そよぐメヒシバとキンエノコロの穂でこのくすぐるような柔らかな風を表現してみたかった。
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落葉

さわさわと斜面林の梢が鳴ってはらはらと葉が落ちる。これは静の風である。
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散り残る

11月も末、北風が散り残った桜葉に容赦なく吹きつける。やがてすべてが散って来春の芽吹きを準備するのだろう。
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雪煙

冬の奥日光湯の湖の夕景、手前の波立つ湖面、遠方の凍結した湖面に積もった雪。風で舞い上がる氷上の雪が冬の厳しさを感じさせる。
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まだまだ色んな風の表現があるだろう、「千の風」があるのだから。意識的にしろ、無意識的にしろ誰かが毎日何処かで自分の感じた風を撮っているのに違いない。
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by namiheiki | 2007-09-24 22:11 | デジカメ談義

水のミラクル

水は鏡である。いろんな物を映して見せる。でもその表面は単純ではない。ある時は鏡のように平らであるが風や流れ、さらにそこに住む生物によって千変万化に変身する。だから水に映る景色は実の世界と違って空想と変化に富んでいる。身の回りには川、池、田がある。雨の後には水溜りも出来る。誰でも無意識に水の入った写真を撮っているが意識して水を見るとちょっと違った風景が現れて来る。池、田、川、水溜りと分けてその効用を見てみよう。



土手道
あれ、写真が逆さま?と思うほど水面が滑らかである。ここは川の水位調整池で土手に囲まれた低い位置にあるので水面は静かな事が多い。この日の夕暮れは好天で雲も少なく夕焼けは今ひとつ物足りなかった。でも池に目を転じると池に映る土手の上の人影が童話の絵のように夢を誘った。思い切って現実はまったく無視して池に映る像だけで構成した。この写真をブログに載せたら「天に向って落ちて行く」という言葉を引用したコメントがあった。そんな吸い込まれるような感覚を誘う画面である。写真の成否は人影で決まる。右端の犬を散歩させる人影は嵌め込みであることを白状しておく。勿論同じ時に撮った数枚から転用ではあるが。
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土手道(2)
同じ場所での撮影であるが、こちらは現実と水面の像を上下対称的に配置している。こうする事でより写実的になったように思う。いずれの場合も左端の小さな葦の影がアクセントになって直線的な構成から来る単調を補っている。
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釣り人
これも同じ場所でのショットである。主題は夕焼け雲にあるが、釣り人のシルエットを持ち込むことで生活感が吹き込まれた。釣り糸による水面の輪が画面に動きを与えている。
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嵐の後
秋の台風の後はこの調節池はしばしば溢れる川の水を貯めて本来の機能を果たす。この時ならではの光景が現出する。このショットはまだ雨の落ちる水面に穂先だけをのぞかせた葦とカルガモの航跡を主題にした。
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やなぎ
増水した水に没したヤナギのシルエット、何処までが実物で何処からが影なのか区別のつかないところが面白い。黄昏の空のピンクが僅かに水面に映っているのがモノクロームの画面を救っている。画面下の僅かな漣も控え目ながら動きを与えている。
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冬木立
真冬の朝、葉を落としたヤナギとサクラの冬木立が半円の水面に映っている。このように曲線で縁取られると額縁効果で繊細な枝振りが洒落て見える。
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落日
漣による影の形と色の変化もよく取り上げられるテーマである。池に映る赤い夕日の漣による微妙な色の変化が美しい。肉眼で確認し難い色の変化もデジカメのCCDにははっきりと記憶される。輝く遠い水面だけを望遠で切り取ったので現実離れした色調になった。木立の黒い縦の影、水鳥の明るい横の影の織りなす水模様である。
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田で

田植え時
田に水が張られると微生物、プランクトン、昆虫、甲殻類、魚、両生類、鳥など色んな生き物が一斉に活動を始める。田植え時の田は苗と言う模様で彩られたキャンバスである。人の生活も映して暖かく郷愁を感じさせる題材である。
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アメンボ
田の水路、きらめく夏の光、アメンボが水面を自在に滑る。水の表面張力を掴むしなやかな肢。でもその撮影は大変に難しい。水辺で水面近くにカメラを構えて彼らが近寄ってくるのを待つしかない。マクロのAFもなかなか言う事を聞いてくれない。忍耐の要る仕事である。撮影時はアメンボしか見ていなかったが水面の揺らぎ模様がこんなに面白いとは期待していなかった。
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アメンボ(2)
浅い透明な水溜りでは水底に映る水模様が面白かった。アメンボの水を掴む6本の肢の円い影がはっきりと投影されていた。
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川で 

私のフィールドである芝川は流れの滞る場所が多いので基本的には池での撮影と同じである。ただ冬季には水鳥が多い。しかし私の場合、水鳥はむしろ点景として扱うことが多い。水鳥そのものを狙うにはあまりに彼らの生態を知らないし道具や技量も伴わない。


白い夏雲が川面に映っている。ただそれだけだが川の流れと二羽のカルガモの立てる波が動きを表現してくれた。
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こちらは夕焼け雲、画面の端に見える葦の色が秋であることを物語っている。川面に映った赤い色が滲んで絵画的な表現になった。
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オオバン
オオバンはこの辺では真夏を除いて時々見かける。秋、川岸のサクラの紅葉が朝日を受けて水に映っていたが、葦原から泳ぎ出たオオバンの立てる波に揺らいだ。崩れた影の形と色に惹かれた。
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カワセミ
芝川では時々カワセミを見かける。晩夏の夕暮れ時、前を行く散歩の夫婦が指差して教えてくれた。なるほどカワセミの番いが水辺の枯れかけた葦にとまって水面を覗き込んでいた。標準ズームではこれが限界だった。カワセミは小さく入っただけだったが川面に映った雲が情景描写に役立ったように思う。斜めに何本も横切る高圧線の影は邪魔だと思ったのだが、揺らぐその影は画面を引き締めて情景描写に役立ったようだ。写真は素直に撮るものだと思った。
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ハクセキレイ
初冬の芝川、この川中に立つ杭はハクセキレイのお気に入りの場所のようだ。しきりにこの周りをホバリングしている。葦の影と杭の振動で出来る僅かな波を入れてシンプルで爽やかな画面になった。
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越辺川
川越市郊外を流れる越辺川は流れが速いのと小石が多く川底が浅いので何時も漣が立っている。雲からの漏れ日を映した模様ガラスのような川面に思わずカメラを向けた。ちょっと非現実的な面白い風景が出来上がった。
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水溜り

朝の駐車場

近くに川も池も無いという方も居られよう。でも水溜りならアスファルトの上にもある。雨上がりがチャンスである。次のショットはプールの駐車場、朝早くで人も車もいなかった。黄色く色づいた銀杏を撮りたかったが今ひとつ興が湧かない。雨上がりであちこちに小さな水溜りが出来ていた。思い切り近寄ってしゃがみこむと銀杏がきれいに並んで水に映った。アスファルト上の白線も程よいアクセントになって情景描写に役立った。
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これも雨上がりの夕暮れ時、川沿いの土手道でのショットである。雲はきれいだったがまともに撮ったのでは地上部はシルエットになる。小さな水溜りに顔を寄せると水溜りとは思えぬ大きな空が見えた。
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朝の散歩道
川霧の立ち込めた朝の土手道を散歩する人影、ここでは土手道のいくつもの水溜りがアクセントをつけてくれた。
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これでお分かりのように水溜りは雨上がりがキーワードである。でもそれだけではない、雨上がりは木や草や花に潤いと輝きを与えてくれることはご存知の通りである。

最後に大変類型的、古典的になるが水に映る初夏の花の写真をお目にかけよう。

ノイバラ
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ミズバショウ
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奇跡の物質、水の創出する美しさには何時も感動する。あらためて水の惑星、地球に生を受けた事に感謝せずにはいられない。
  
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by namiheiki | 2006-12-19 22:10 | デジカメ談義

太陽を撮る

真っ赤に燃えて落ちる太陽、きれいな色!と思ってカメラを向ける。ところが太陽は真っ白にとんでしまっている。あるいは真っ黒な画面に太陽だけが懐中電灯のように光っている。そんな経験をどなたもお持ちのことだろう。人の眼は実に巧妙に出来ていて視野の調節、ピント合わせ、光量の調節を瞬時にやってのける。ところが人の作ったカメラはそうはいかない。フィルムカメラは勿論、デジカメでは尚更この辺はさっぱりである。太陽の明るさは絶大であるから周辺の明るさとの開きが大きくフィルムでもデジカメのCCDでも露出許容度lattitudeに限界があり両方をカバーすることは出来ない。狙った意図を表現するにはこうしたカメラの特性なり弱点をよく理解してかかることが必要になってくる。

最初の作例はずばり夕日そのものを撮ったものだ。写真そのものは太陽が大きく写っているだけでつまらぬものだが、このように太陽が赤く撮れるにはいろんな条件を満たさなければならない。この条件とは太陽が特別厚い空気の層を通過して光量を著しく減じたときである。それは日没または日の出の地平線に近い位置にあることを意味する。でもそれだけでは十分ではない。湿度が高く空気中の水蒸気の粒子が多い、あるいはスモッグのように水蒸気以外の分子の粒子が多く光が吸収あるいは散乱されている必要がある。具体的にはこうした条件は春から夏にかけてである。薄曇りで風の無いことが条件になる。秋から冬にかけては空気が澄んでいるから太陽は地平線に隠れるまでぎらぎらと眩しく輝いている。
作例はこの8月に撮ったものだ。10倍ズーム、4倍デジタルズームのコンパクトデジカメで橋の手摺りにカメラを押し付け望遠側一杯で手持ちで撮影した。光量は少ないし望遠だから手ブレには気をつける。何枚かシャッターを切ったがなんとか色を出せたのは太陽が隠れる寸前の二三枚だけだった。時間にして数十秒、実は近くでムクドリの群れが舞っていてそれを入れたかったのだが、限られた時間で狭い写角にうまく入ってはくれなかった。そんなことはまず望めないチャンスだったろう。
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次の作例はまだ春浅い日の夕暮れの土手道である。太陽が赤く見える条件は満たしているように見えたがまだその位置が高かったらしい。太陽は白くとんでしまった。でも夕焼けの赤い空のムードは描写出来たようだ。露出は太陽に合わせると真っ黒になってしまう。少しずらせた夕焼け空にあわせた。私はAE機能を利用するが中央重点に設定しておいてファインダー中央で露出を合わせている。全面測光では太陽が入って露出不足になるだろう。なお犬を散歩させる人影は同時に何枚か撮った中からの嵌め込みである。こういう手はあまり使いたくはないのだがなかなか人も太陽もぴったりというわけにいかないのが現実である。レタッチも楽しみの内である。
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ぎらぎらと光る夏の太陽が沈む。手前に稲田の防鳥ネットが光っていた。微妙に光る幾何学的なネットの模様を利用して太陽の光を表現してみた。露出は光るネットに合わせた。太陽は勿論、空もとんでしまったがネットを使って光そのものは描写出来たと思っている。
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西に傾いた日をめがけてハングライダーが飛んできた。空は薄雲でヘイズがかかって太陽の光は柔らかだった。一瞬ためらったが太陽を中心に入れて闇雲にシャッターをきった。画像は太陽は勿論真っ白にとんでいたが明るさのために数倍大きな太陽のように見えた。ハングライダーが飲み込まれそうで思わぬ効果が出た。カメラを信頼してどんどん撮ることである。
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晩秋、遠くの大木の梢に落ちる太陽、典型的な冬の武蔵野の風景である。手前のオギの穂が効いているが、実はこれも近くで撮ったものを嵌め込んだ。バックが真っ黒なので嵌め込みは極めて容易である。
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主題は葉を落とした冬の林の木々の大きなシルエットである。今まさに林の彼方に落ちんとする夕日がここでは脇役に甘んじて伴奏を務めている。
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冬の季節風の強い日は大気は澄み切って太陽は沈むまで眩しく輝き続ける。この日も遠くの富士山がくっきりと見渡せた。スカイラインはさいたま新都心だが手前の休耕田まである程度の諧調描写がされていてCCDの進歩を伺わせる。ちなみにこのデジ一眼は大型のCCDを備えている。
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初秋の頃だったかちょうど日が沈むところに出会った。空はきれいに澄んでいて雲ひとつ無かった。写真を諦めて空を鑑賞していると向こうから飛行機雲が近づいて来た。これこれと十分に引きつけてシャッターをきった。たった一つの瑕のような小さな飛行機雲で写真が生きる。写真って不思議なものである。
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水は空を映す。夕日の前景は黒いシルエットになるのが相場だが、もしそこに水があると話は違ってくる。立体感や遠近感をつくってくれる。ここでは初夏の田植え風景を前景に持って来た。美しい入日が田の水に反射して働く人の生活感を浮かび上がらせた。
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水に映る空は美しい。水に映る映像だけで夕日を表現することも可能である。ここでは釣り人の姿をシルエットで入れることで画面にアクセントが出来たし生活感も生まれた。
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マクロ撮影で夕日を撮る!こんな嘘みたいなことも可能である。道端のタンポポの綿毛にピントを合わせた。綿毛が夕日を浴びて赤く染まっていたからである。思い切って画面に入れた夕日は白くとんでしまったがその存在感は強烈だった。
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ぎらぎらの真昼の太陽にレンズを向ける人は稀だろう。でも強烈な夏空の表現などには効果がある。もちろん太陽は真っ白になるが、今のレンズは太陽の光くらいではびくともしないし光媒体ははっきりとその存在を捉える。作例は強風で千切れ飛ぶ白雲であるが太陽をアクセントに使ってダイナミックな感じを表現した。露出は白い雲に合わせた。
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朝寝坊の私は日の出の遅い冬を除いてあまり朝日にお目にかかったことがない。作例は朝靄のたなびく冬の田園風景である。これを夕日と間違える人は少ないだろう。朝は朝靄がたなびいているからである。このあたりは川が流れていて川霧が出易い。
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最後は冬の那須高原の朝である。旅館の屋根から下がる大きなツララを前景に持ってくることで単調を避けた。太陽の光が氷柱で屈折して輝く様を主題にした。
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その強烈な光ゆえに美しい太陽の映像を記録することは難しい。あらゆるエネルギーの根源である太陽はあらゆる美の源でもある。ここに記したのはささやかな私の挑戦の一端にすぎないが、こんなトライもあるのかと思っていただければ幸いである。
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by namiheiki | 2006-08-14 11:33 | デジカメ談義

印象的な色

この映画をご覧になった方はもうかなりのご年配かもしれない。戦後まだカラー映画が珍しかった頃だ。「天国への階段」というイギリス映画があった。冒頭モノクロームの天国から一輪のバラが地上へと落ちるシーンがある。バラが地上に近づくに従って色が付き始めやがて真っ赤なバラが地上に落ちる。女主人公がこれを拾うところから物語は始まる。(脚註参照)
モノクロームの中にただ一つの色、これは空想と現実を繋ぐ役を担って効果的である。画面が幻想的に見えるのはそのためだ。私の写真の中でもそんな例は数少ない。それをご紹介しよう。

湖畔 先月奥日光を訪ねた。朝5時に目が覚めて薄明の湯の湖の湖畔を散歩した。梅雨時のこととて雲は低くたれこめ死んだように風も無かった。美しい朝の光を期待していたのでいささかがっかりした。見ると冬の間クローズしていたボートハウスの前にはシーズンとあって沢山の白いボートが繋がれていた。よくある構図であまり気が進まなかったが取り敢えず1枚シャッターを切った。ボートには黄色いペンキを塗ったものがあり、その時はぶち壊しの色に思えた。なるべく目立たないようにと隅に追いやった。
 帰宅してパソコンで画像を見てはっとした。黄色が効いている!モノトーンの画面の中でこの黄色は控え目ながら渋いアクセントになっていたのである。
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 柿右衛門ではないが柿の色は美しい。この美しい色を際立たせるには雪景色の中で撮るのが一番である。渋柿は冬になっても木の枝に残っているからこんな風景も可能である。降る雪を描写するには暗いバックが必要である。
 雪に落ちた牡丹、サザンカに積もる雪、紅葉を彩る雪も同じように意外性と新鮮さがある。でも降雪の中での撮影は注意を要する。レンズに雪がかかるからである。これについては前に書いたように思うので省略する。
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大晦日 雪はモノクロの世界をお膳立てする。一昨年は大晦日の午後から雪になった。神社は初詣客を迎える準備で忙しそうだった。雪の中で朱塗りの門は常にも増して壮麗に見えた。数時間後にはこの境内は善男善女で溢れるのだろう。
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飛び立つ 真冬の川面でのショットである。餌を狙っていたアオサギが近づくカメラを嫌って飛び立った瞬間である。モノトーンの暗い画面で唯一の色は朝の空を映した水面の僅かな赤色である。この画像は「幻想的な写真を撮る」でも紹介した。モノトーンの写真はしばしば幻想に通じる。
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【註】(06/08/14) アメリカに住む友人のご好意で「天国への階段」のDVDを送って頂いた。天国から落ちるバラのシーンはなかった。どうも他の映画のシーンとダブって記憶していたらしい。その映画の題名は思い出せない。ご存知の方はコメント頂ければ幸いです。
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by namiheiki | 2006-07-08 15:42 | デジカメ談義