カテゴリ:デジカメ談義( 30 )

花の群落を撮る

クリンソウは学名Primula japonica、プリムラ属の植物である。この仲間には有名なサクラソウも含まれる。日光の中禅寺湖畔に自生するものを今では個人が保護育成している。一昨年6月に訪れる機会があったがそれは見事な群落だった。もう日は傾いて林の中は薄暗かったし湖からの霧も迫って来た。でもデジカメ一眼レフ28ミリ広角(35ミリ換算)で全容を写し込むことが出来た。幸いこの花はかなり大きな部類なので一番手前の花にピントを合わせてもバックのほぼ全体にピントが行きわたった。花の細部の形を描写しなお且つ群落の全体を表現するには広角レンズが必須である。写角が広いだけでなく焦点深度が深いからである。この時のレンズから手前の花までの距離は1メートル強だっただろうか、これより近寄ればバックがぼけて描写が不足するという限界だった。花だけ大きく撮ることはそう難しいことではない。でも同時に環境を写し込むことはそう簡単ではない。
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余談だがこの写真はアメリカの学術書出版社から掲載許可の依頼があった。なんでもクリンソウは皮膚疾患を起こすらしくその本はDermatology(皮膚病学)の専門書だった。

このニリンソウの群落には上高地の明神池近くで出会った。群落全体を写したい、しかしそれだけでは迫力に欠ける。あまり大きくはない花そのものを大きく描写したい。苦肉の策がコラージュである。画面中央下部の比較的大きな花は同時に撮った別のショットからコピー&ペーストした。これで画面に奥行きを出すことが出来たと思っている。こんな小細工が良いか悪いかは人によって評価が分かれるところだろう。
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次のカタクリは有名な栃木の群生保存地区で撮ったものだ。この場所は中心部にあり誰もが狙う場所でもある。これも手前の花に同じような細工がしてある。どの花がペーストか当ててみるのも一興だろう。
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日光で見かけたトキワナズナ、一名雛草とも言われる北米原産のアカネ科の植物。直径1センチそこそこの小さな花である。大きな群落に見えるが奥行き2メートルほどのものである。多少カメラを引いて(数十センチ)全体を描写した。光の当たっているところと影の部分が斜めに区切られて単調から救われた。花だけでなく一部花茎が林立して見えているところも気に入った。
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何処にでもあるオオイヌノフグリ、田の畦の斜面のごく小さな群落だが撮りようで大きく見える。小さな花のマクロ撮影にもかかわらず青い空をバックにしたスケールの大きな写真になった。カメラは最近ゲットしたNikon Coolpix S4だがこのカメラは広角側(38mm)で4センチのマクロ撮影が可能でこうした撮影には好適である。
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ヒメオドリコソウもごく小さな花だが、ここでは花を大写しすることは諦めて群落の表現に切り替えた。この草の特徴ある姿が群生によって強調された。遠景の田園風景も環境をよく表わしている。
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ノボロギクに興味のある人は多くはないだろう。キク科だが舌状花が無く目立たない。でもみすぼらしい綿毛が美しく見える時期がある。傾斜地の群落だったので奥行きを出すのに好都合だった。でもバックが物足りない。折りよく通りかかった通学途中の女学生の自転車を入れた。誰も振り向かない平凡な風景にもかかわらずなんとなく夢のある画面になった。
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このように傾斜地は画面の奥行きを出すのにしばしば好都合である。湿った土手の斜面に自生するチガヤだが手前の斜面と遠くの斜面が斜めに交差してダイナミックな立体感が出た。
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畑の畦のような小さな起伏でも同じ手法が使える。さして大きくないイヌタデの群落だが畦の小さな段差を利用して変化をつけた。地平線の林や雲を入れることで風景写真になった。
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珍しいキツネノカミソリの自生地だが手前の花をクローズアップしながら斜面を利用して立ち上げたバックに群落を取り込んだ。この場合バックが適当にぼけることで主題の花が生きた。
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平坦な場所でも花の背丈があれば主題の花を強調しながら群落の広がりを表現することは可能である。次の写真は平らなヒナゲシ畑でのショットである。バックはアウトフォーカスだが雰囲気は十分に伝えている。
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小さなレンゲソウをクローズアップしてかつ群落や環境を伝えることが出来るだろうか?次の例は小さな花のクローズアップにもかかわらず背後の群落や農家の屋根まで取り込んでいる。小さな焦点距離を持つデジカメにして始めて可能な表現である。信じられないかも知れないがこれは嵌め込みではない。
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ぼかしついでにここでは意図的に望遠レンズを使って群落を表現した例を挙げる。菜の花の群生の一点にフォーカスして前後はぼけている。ムード派好みで私はあまり好きではないがこんな撮り方でも群落を表現することは出来る。
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最後の数例はオーソドックスな群落の撮り方である。ホトケノザ、イヌガラシ、ナズナ、ナノハナ、ラベンダーの例を挙げる。個々の花の詳細描写にはこだわらず群落全体を見渡す。撮影は難しくは無い。ある程度カメラを引き、俯瞰位置で奥行きを出す。2、3メートル先にピントを合わせると画面全体にピントが行きわたる。定型的な写真になるからここでものを言うのは遠景に何を持って来るかだろう。雲をポイントにするのでなければ空はなるべく控え目に入れるのがよい。人、家畜、電車、林、田園など季節感や生活感のあるものを入れたい。
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必ずしも有名な観光地にシーズンの人混みに押されて行くことはない。どんな花でも群落を形成することで素晴らしい景観を生み出す。休耕地やちょっとした空地にある日あっという間に野草の群落が出現して驚くことがある。野草の生態系は年毎に変わる。二年と続けて同じ群落が現れるとは限らない。だから毎年足で探すしかない。写真は足で撮ると割り切ることである。目的を持って歩くと苦にならない。何より歩くことは健康に良い。
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by namiheiki | 2006-03-22 15:39 | デジカメ談義

雪を撮る

雪はフォトジェニックである。雪の日は景色が一変する。「引算」でも述べたように雪は余計なごちゃごちゃを隠して画面を単純化してくれるからである。そこにあるのは光と影、モノクロームに近い世界である。水の一形態である雪は単なる寒い冷たいではないもっと多様な性格を持っている。顕微鏡で雪を見た人は芸術的とも言える美しく多様な世界に驚くに違いない。
こんなことを言っては大雪に悩む雪国の人に申し訳ないが、残念なことに今冬は首都圏ではまだ雪が無い。ここでは昨年までに撮り貯めた写真を使って私の眼で見た雪を取り上げてみよう。

一昨年の大晦日、昼から雪になった。地元の氷川神社に出かけた。除夜の鐘と共に始ま初詣の準備で僧侶が雪の境内を行き来していた。新年を迎える前の期待と緊張に満ちた静けさ、そんな雰囲気を感じて頂けるだろうか。
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私の住む見沼の台地には昔からの豪農の屋敷がいくつもある。屋敷の多くは立派な長屋門を構え、その前には畑が広がる。屋敷の北側は広い屋敷林があって風を遮る。雪の日の静かな佇まいをあえてシンメトリーに切り取った。色の乏しい風景が日本画を見るような静的な感じに仕上がった。
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雪面の光と影は斜光によって強調される。次の画面では雪上がりの斜面に射す朝の光が画面を斜めに切ってダイナミックな構図になった。斜光による雪面の細かな凹凸の描写も見逃せない。遊ぶ人と犬の動きも点景と言うよりは主題となって画面を活き活きとさせた。
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雪の白さは青空によくマッチする。次の作例は平凡だが青空をバックに前景、後景の雪木立を浮き上がらせて雪の朝の爽やかな印象を絵にした。雪は空より明るいから露出がオーバーになって雪の質感が失われないように注意する。
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逆光の美しさも捨て難い。次の作例は細かな枝についた氷雪を逆光で捉えている。この場合暗いバックが効果的である。
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白いモノクロームの雪には花や実の美しい色を純粋にみせる効果がある。次の二点は年を越して木枝に残る渋柿を撮ったものだが遠景の農家も入れて日本的な郷愁をそそる風景写真になった。一枚目は雪を被った柿に重点を置いて遠近感を強調し、二枚目はあえて平面的に捉え日本画的な美しさを狙った。降り続く雪の描写は画面に情緒を与えてくれる。
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これは高原のナナカマドを撮ったものだが、粉雪の舞う冷たい空気感が平地の写真とは明らかに違う。ナナカマドの赤い実は何時までも残り、色の乏しい冬の山で撮影のチャンスを与えてくれる。植物の実は雪の中の色として貴重である。身近な例ではナンテン、センリョウ、マンリョウ、サンシュユ、イイギリなど沢山あるが風景写真として捉えることは結構難しい。
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常緑のサザンカや椿は強烈な色彩で冬の花の王者である。雪を被った姿は冬の写真の定番と言ってよい。ここには示さないが雪の上に落ちたサザンカの花びらや、椿の花も美しい花鳥風月の世界である。
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関東など太平洋岸では春先に雪が降ることが多い。昨年も春の彼岸に雪が降った。ハナモモに降る雪を狙った。何枚かのショットの中に雪片が大きく写り込んでいるものがあった。やはり迫力が違う。こういう写真は狙って撮れるものではない。でも多くのシャッターを切ることがその確率を高めてくれる。雪降りの写真は透明ビニール傘、レンズフード、レンズ拭きクロスが必携である。特にこの例のような仰角撮影は注意が肝要である。
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梅と雪も冬から春への季節の表現の定番である。中でも蝋梅は年明け早々に綻び始める。独特の艶のある透明な花弁も青空に映える。この写真は蝋梅の木のある環境を描写することにポイントを置いた。
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次の例では美しいとも言えない枯れたオオバコの花穂についた融けかかった霜をテーマにした。融ける霜は温かさの表現である。ぼけてはいるがバックの雪の休耕田にも春の陽射しの確かな暖かさが感じられる。
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光と影の織りなす雪面の描写は写真の醍醐味である。ここでは平凡ながら春の陽射しと融ける雪田をテーマに選んだ。
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最後の一枚は何処にでもある公園の風景である。春、一番に芽吹く柳、その影が雪の融けた水溜りに映っている。花は無いが柔らかな早春の息吹きを感じる。
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さて雪の写真を見て寒い冷たいだけだったろうか?いやそんなことはない。雪は寒いばかりではなく温かさも兼ね備えている。動物や植物や昆虫を低い気温や風から柔らかく守ってくれるからである。太陽の光が射す雪面では水の分子の微妙な躍動をすら感じることが出来る。水は大きな比熱を持っているし気化熱や融解熱によって常に気温をコントロールするように働いている。水はすべての生き物の母である。そんなことを考えながら温かい写真を撮りたいと願っている。
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by namiheiki | 2006-01-14 16:02 | デジカメ談義

寒さを撮る

今年はことのほか寒さが早くやって来た。冬は花も少ないし色も少ない、寒いしどうしても外に出るのが億劫になる。こんな時思い切って寒さに挑戦してみたらどうだろう。寒さは肌で感じるものだがそれを視覚で表現してみるのも楽しい。

今年も12月上旬奥日光を訪ねた。湯の湖の周辺はもう雪が30センチほど積もっていた。此処の静かな湯の湖の佇まいが好きだ。夜明け前の湖畔には人影は無かった。岸辺の水は凍り始めその上に積もったさらさらの雪の結晶の一粒一粒が美しかった。
この雪をシャープに描写したい、しかし湖の全景も入れたい。こんな時は出来るだけ広角のレンズを使い全面にピントを結ぶように心がける。広角だと景色を広く写し込めるだけでなく被写界深度も深くなる。ここでは1メートルほど先の雪面にピントを合わせた。遠景の湖面の靄までシャープに描写することが出来た。
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幻想的な湖面の靄を強調したかった。望遠で遠くの靄を引き寄せた。手前に3羽のマガモを入れることで物語のある絵になった。
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秋霜烈日というが、寒さの表現は雪より霜だと思う。雪はまだ温かさがあるが霜は苛酷で容赦が無い。北風の吹き抜ける芝川沿いの開けた川原は朝真っ白に霜が降りる。もっとも霧と同じで風のある日よりも無風の日の方が霜は多い。また冬は空気が乾燥するが湿度の高い方が霜の量は多くなる。ここでは木柵の切り口に降りた霜に焦点を合わせた。でも遠景の空まで入れたことで画面に奥行きが出た。霜の白さを描写するには逆光が良い。順光ではフラットなベタ白になってしまい質感のディテール描写が出来ない。
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土手道の枯れ草に降りた霜を狙った。バックの情景を描写するには当然カメラの位置は低く地面すれすれになる。回転式のモニターを備えるデジカメはこの手のローアングルに都合が良い。都合の良いことは他にもある。カメラを持つ手が地面に触れるのでカメラが安定する。この姿勢で点景になる人が現れるのを待った。人物は蹲って下を見ている私を見て、まさか自分が撮られていると思わないから自然な姿を捉えることが出来た。
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コセンダングサの痩果は秋から冬にかけての風物詩である。鋭い棘を持つこの実は荒野にあって非情である。この痩果にはりつく霜は殊更厳しさを感じさせる。遠景に朝の日が当たり痩果が浮かび上がったところを狙った。遠景の日向がないと絵が平板になるし、痩果に日が当たってしまうとこれも寒さが失せてしまう。
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雲もまた冬の表現に欠かせない。この場合取り合わせる前景がポイントになる。次の例では枯れたオオバコの穂と葉を落したメタセコイアのシルエットである。大きさはまったく違うが冬姿としては共通である。寒々とした冬空が表現出来ているだろうか。太陽や雲はあまり赤くない方が寒さを感じる。赤は暖色だからである。
三つ目の例は雪雲をじかに狙っている。右から左上に流れる黒雲と高圧線が共鳴してシナジー効果を上げている。強い風でけむって見える白い雲のハイライトが寒さを感じさせる。
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秋から冬へかけての川霧も寒さの表現の一つになる。この場合も逆光が雰囲気の描写に役立つ。2枚目の写真は未完成の作例だが人や犬の白い息が冷たい空気の描写になっているところを見て頂きたくてあえて挙げてみた。こういうチャンスは田舎ではなかなか無いが人の多い都会では良く出会う光景であろう。
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最後の一枚はほっとさせる写真である。雪の後のぬかるんだ土手道、底冷えのする冷たい空気を感じる。でもどことなく春の気配も感じさせる。水溜りに写る人影がこのシーンの主役である。どうと言うこともないありのままの写真だが、こんな素朴な光景がたまらなく好きだ。
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長くなるので後は次回に譲ることにしよう。次回は同じ冬でも春を感じさせるシーンを主題にしたい。今年は思いの他寒さが厳しい。まだまだ寒さを撮るチャンスは続く。
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by namiheiki | 2005-12-28 11:46 | デジカメ談義

幻想的な写真を撮る

幻想的な絵画や写真を好む人は少なくない。何故だろう?それはきっと心の中で現実には叶えられない純粋さや優しさやロマンを求めているからではないだろうか。

幻想的と言えば霧、秋が深まると朝霧が降りるようになる。先だっての霧の日に撮った写真である。
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このスズカケの木は大木で何度かトライしたが気に入った写真が撮れなかった。この朝は折からの霧で周囲の木が隠されスズカケの木だけが浮かび上がっていた。木の大きさや特徴を表現するのに必ずしも木全体を写しこむ必要はない。特徴的な一部を切り取って全体を想像させた方が大きさを表現出来る場合もある。またシンメトリーに真中に配置することで力強さを出せたように思う。(もっともほんの少しだが右に寄せている。それは葉の密度が右の方が少し重かったからである)

同じ日、霧の上がる前に林の中のコウヤボウキのところに行ってみた。やはり霧の中では同じコウヤボウキもしっとりと潤んで夢幻的に見える。バックの空気感が違うのである。
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同じ霧でも川霧は川の表面だけに霧が出る。川の水の温度よりも空気が冷たいからである。高い山の上から雲海を見るような感じで幻想的な風景に一変する。整いすぎてちょっと絵葉書的だが昨年の晩秋に現れた見沼の芝川の霧である。
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この時は霧が上がるまで何十枚かシャッターを切った。それはスライドショー「川霧」にまとめてある。スライドショーは言ってみれば組み写真で一枚では表しきれない動き、時間経過、情景を表現するのに役立つ。幻想的な雰囲気を出すには画面の切り替えはフェードイン、フェードアウトにかぎる。

「引算」でも出たが霧はバックを省略してくれるから普段では撮ることの出来ないすっきりした画像を提供してくれる。それは同時に非現実的であり幻想的であることに繋がる。チカラシバやエノコログサは霧の日はたっぷりと細かい露をつけ、逆光で信じられないような銀白色に変身する。
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霧にかぎらず朝露も夢幻的な情景を演出する。作例は打ち枯らした荒野の風景だがカゼクサに宿った朝露が美しく修飾してくれた。
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霧ばかりでなく朝晩の風景は幻想的な雰囲気を醸す。それはやはり光の向きが水平に近いこと、言い換えるとそれだけ厚い空気の層を通過した光であることによるのだろう。ご存知のように朝焼け、夕焼けはしばしば幻想に満ちた風景を演出する。
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一歩突っ込んでtwilightの世界も不思議な美しさに満ちている。ここでは薄明の醸す神秘的な雰囲気を感じる一例をあげる。季節外れの12月、奥日光の湯の湖で曇り日の未明に撮った一枚である。立ち木にカメラを押し当てて二分の一秒のスローシャッターを切った。
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花や野草にも幻想の世界はある。彼岸花についてはすでに紹介した(「彼岸花の幻想」、「水と彼岸花」)。
タンポポやチガヤの綿毛は幼年期への郷愁をかきたて幻想的である。綿毛を撮るコツはハレーションを恐れず逆光で狙うことである。すでにアップ済みの組み写真、ダンドボロギクの「旅立ちー微細なものを撮るー」も良い例と思う。
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花のアップでも光の扱い方一つで幻想的に撮れる。作例はごくありふれたミズキの花だが葉陰からの漏れ日が平凡な画面を一変させた。
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これも何のこともないヘクソカズラだがバックの水路に反射する光で引き立てられ、同時に花の置かれた環境が説明されている。
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「水と彼岸花」でも述べたが水面に映る光と影はしばしば幻想の世界に誘ってくれる。次の作例は早朝水面から飛び立つアオサギの姿である。飛び散る水滴が幻想と現実を繋いでいる。
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最後に「これなあ~に?」と重複になるがハゴロモの幼生の一枚を挙げさせていただきたい。撮った時は何かも分らず半信半疑でシャッターを切ったのだが森の中のミズヒキの上でペアでダンスを踊るまさに妖精の姿だった。こんな予期せぬことが起こるから写真はやめられない!
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by namiheiki | 2005-11-03 23:03 | デジカメ談義

初めてスズメガを撮った

何時の頃からかスズメガに関心を持つようになった。ジェット戦闘機のようなずんぐりしたその姿態は小さな鳥のようでもあるし、大きな昆虫のようでもある。これが蛾だと聞いた時は信じられない気がした。目にするのは必ず派手な大きい花の周りである。小さな翅を高速で動かしホバリングで空中に停止しながら体長ほどもある長い口吻を伸ばして花の蜜を吸う。動きは早く花から花へと気短かに飛び移る。スズメガが何処かにとまっているのを私は見たことが無い。だいたい昆虫の特徴である6本の肢は何処にしまってあるのだろう。

この昆虫にさらに親近感を持つようになったのは数年前カラスウリの花の撮影を始めてからである。ご存知のようにカラスウリは日が落ちて暗くなってから妖しいレースのような白い花を開く。暗闇でどんな虫がこの花の受粉を媒介するのだろう?花を撮影する私の耳元で大きな羽音がした。夜目にぼんやりながらスズメガであることを確認することが出来た。この蛾はきっと優秀な眼をもっているのに違いない。

こんなスズメガだがなかなかカメラに収めるチャンスがなかった。スズメガは一箇所に長くはとどまっていない。カメラを向けているうちに姿を消してしまうのだ。先週の良く晴れた日、森林公園で初めて辛うじてその姿を捉えることが出来た。とっさの事とて考える間もなくAF、AEで蛾を追うのが精一杯だったが、不幸にしてこの時持っていたカメラがD70でなくNikon Coolpix 5700だった。連続して切るシャッターに記録が追いつかずいらいらの連続だった。結局シャッターが切れた5枚の中でスズメガが写っていたのは3枚だけだった。後でデータを見るとシャッタースピードは500-600分の1秒だった。よくこれで止ってくれたなという気がする。お恥ずかしいショットだが一応写っているということでご参考までに公開することにした。

長い口吻をストローのように使って、先客のカメムシの頭越しに・・・
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さながら空中給油のジェット機のように巧みに蜜を吸いあげると・・・
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口吻を丸めて収め、さっと身をひるがえす・・・さよなら
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スズメガ科にはなんと全世界に1200種もあるという。ここに写っているのはいわゆるスズメガ亜科だと思うが、ホウジャク亜科の種類にはもっと美しいものがあるらしい。そんな蛾に出会ってみたい。
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by namiheiki | 2005-10-19 23:48 | デジカメ談義

旅立ち ー微細なものを撮るー

ロマンチックなタイトルをつけてしまったが、今回のテーマも「微細なものを撮る」に入るだろう。ダンドボロギクの綿毛である。ここまで細かくなると最早デジカメ一眼レフの領域と言ってよいだろう。D70にMicro Nikkor 60mmをつけての撮影になった。

ダンドボロギクは北アメリカからの帰化種である。アメリカでは山火事の後にこの植物が一面に生える。それでfire weedと呼ばれていると言う。日本名は奇妙な名だが愛知県の段度山で初めて発見されたのでこの名がついた。キク科だが舌状花はなく、僅かに黄色い管状花がチョボチョボと付いている。襤褸菊とは酷い名前だがおそらく綿毛が汚らしく纏わりついているところからの連想であろう。

でも今日この綿毛が襤褸なんかでない夢のように美しいものであることを発見した。そよ風に吹かれて種子をぶら下げた綿毛が飛び立つ様はまさにロマンチックな一瞬のドラマだった。自然って素晴らしい。どこにもドラマは満ちている!

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そして旅立つ・・・
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by namiheiki | 2005-10-07 18:30 | デジカメ談義

微細なものを撮る

草むらで細い花茎を伸ばすミズヒキの小さな花を撮ろうとするが何としてもピントが合ってくれない。こんな経験をお持ちではないだろうか?

デジカメのAF機能には限界があって暗いもの、小さなもの、細いもの、コントラストの乏しいものにはピントが合い難い。私の使用カメラはNikon Coolpix 950, 5700とNikon D70だが、共通して言えるのはAF機能に癖があっていったんバックにピントが行ってしまうと何度半押しをやり直しても手前に戻ってくれない。こんな時どうするか?私は自分の左手の甲を被写体とほぼ等距離に置きピントを合わせる。つまりレンズの繰り出し量をあらかじめ引き出して調節しておくのだ。

掌でなく手の甲を使うのには理由がある。被写体にもよるが掌は白いのでAEで露出不足になることがある。また手の甲は皺が多いからピント合わせがより容易である。シャッター半押しでロックしたまま被写体に向けカメラを前後して液晶モニターでピントを合わせてシャッターを切る。ただ液晶モニターは小さいので正確なピントの確認は難しい。それで万全を期するためにはピントが合ったところで一瞬半押しをやめてピントロックを解除する。ついで半押しをするとカメラは狭い範囲でのAF機能を発揮して正確なピントを結んでくれる。これでも駄目な場合が多々ある。解除した途端ピントはバックに行ってしまう。そんな時はAFを諦めて手動に切りかえる。つまり手の甲でピントをロックした後はカメラを前後させながらモニターを見てピントを合わせる。もっとも私は眼が悪いからこれで成功することは少ない。

被写体自体がコントラストの悪い場合、バックにごちゃごちゃとコントラストの強いものがある場合はそれに引きずられて特にピントが合い難い。そんな時は可能な範囲でバックに暗いもの、なるべくフラットなものをもってくるようにする。

クールピクス950と5700ではAF機能の性能は似たようなものだが5700の方が液晶画面が明るく格段に見やすい。D70になると一眼レフファインダーだから明るく見やすいしAF機能もずっと優れている。例えば作例最後のハゼランの写真はD70で初めて可能になった。

ミズヒキ
ミズヒキは写真になり難いものの代表である。この場合は光線状態が良かったので比較的容易にピント合わせが出来た。(Nikon CP5700)
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ヒメコバンソウ
髪の毛のように細い茎、そよ風でもかさこそと揺れる小さな小判、可愛いが撮影に泣かされる被写体だ。(Nikon CP950)
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チヂミザサ
成熟すると叢でズボンの裾に纏いつくあのチヂミザサ、細い花序にはさらに微細な赤い毛のある小穂があり極微の白い花をぶる下げる。これも条件次第では撮影が不可能になる被写体の一つである。逆光で毛が光ってコントラストがついたところでピントを合わせた。(Nikon CP5700)
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ハゼラン
ハゼランの全体像を撮りたかった。バックも複雑だったし、この距離からAFでこの小さな花にピントを結ばせることが出来たのはさすがNikon D70ならではである。もっとも一眼レフファインダーならマニュアルフォーカシングも十分可能だろうが。
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大事なことを申し遅れたが私はAF、AEとも中央重点に設定している。測光、フォーカスとも視野中心で行うわけである。暗いバックで小さな白っぽい花などを撮る時はバックに押されて中央重点測光でも露出がオーバーになることがままある。あらかじめ露出を-0.7位に絞って置くとよい。それだけ早いシャッターが切れる利点もある。

皆さんピント合わせには苦労されておられると思う。工夫して克服されているのだろうけど意外とそんなノウハウを書いたものは見ることはない。お恥ずかしい我流を公開してしまったが、そんな事するよりこうすれば簡単だよという意見をお持ちの方は是非コメント頂ければ幸いである。
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by namiheiki | 2005-09-24 21:49 | デジカメ談義

水と彼岸花

彼岸の中日、晴れ間も戻って見沼代用水路東縁を歩いた。彼岸花が盛りで強烈な存在感だった。彼岸花はあらゆる角度から撮られていてどうしたら新しい視点が得られるのか途方に暮れる。前回は田の黄をバックに選んだ。今回は代用水路の水をバックテーマに選んでみた。アメリカのインディアンサマーを思わせる暑い日ざしだった。水面に映る夏雲をバックに水際の花を撮った。電線の影が無ければ水面とは思えないところが狙いのつもりなのだが・・・

ご存知のように彼岸花は大きいけど大変立体的な花である。ある程度花から離れないと長いおしべ全体にピントを結ばせることが出来ない。使用カメラはNikon Coolpix 5700、これを使ったのには理由があって大きなD70のレンズは代用水路を囲むフェンスの金網の目をくぐれなかったのである。
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by namiheiki | 2005-09-24 16:34 | デジカメ談義

彼岸花の幻想

彼岸花は不思議な花である。何も無かった所にある日突然真っ赤な花を咲かせているのに気づく。それが毎年の事なのに何時もまったく唐突な感じを受ける。Red spider lilyという英語名はこの花にぴったりな感じがする。

地下茎で夏をやり過ごし夏草が勢いを失う今頃になると長い花茎を伸ばしてあっという間に花を咲かせる。花の後は競争者があまりいない秋から冬、花には似つかぬベルトのような葉が茫々と生えて根に栄養を貯えて春には消える。これは自然界のニッチを巧みに掴んだ彼岸花の戦略なんだそうである。

昔は田んぼの畦によく植えられていたが、これは彼岸花の殺虫殺菌作用を期待してのことだったらしい。この花の赤は色づいた稲の黄によく似合う。見沼にはこんな場所が残っている。今年はD70に60ミリのマイクロニッコールをつけて撮ってみた。バックが大仰にぼけて小型CCDデジカメとは違ったちょっと幻想的な風景になった。
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by namiheiki | 2005-09-17 22:17 | デジカメ談義

野の花を撮る

花は野にある時が一番美しい。しばしばはっと心を惹かれのは何でもない路傍の小さい草花である。彼らは何気なく季節を知らせてくれる。土の匂いがして心が通う。その素朴さ、可憐さ、健気さ、逞しさには心を打たれるものがある。

彼らの姿は季節、時間と共に刻々と変化する。だから私は野の花を撮る時はその花の置かれた環境、自然の情景を写し込むことを心がけている。花に焦点を合わせてはいるが表現したいのは花の咲く自然である。花だけ撮ってもつまらない。それは美しいかもしれないが生命の営みが感じられない。花屋や室内の園芸品種は人工のアクセサリーと同じに見える。

デジカメの出現は衝撃的だった。小さなCCDを持つデジカメはそれまでのフィルムカメラに無かった深い被写界深度を持っていた。だからマクロ撮影が容易になったし、小さな野の花でもクローズアップしながらバックの風景を写し込むことが可能になった。最近デジタル一眼レフが普及してデジカメもフィルムカメラに逆戻りした感がある。それはそれなりの意味があると思うが小型CCDデジカメの優れた長所は決して無くならないだろう。

早春の朝
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朝露を浴びたホトケノザ、春特有の靄に包まれた柔らかな空気感。バックはぼけてはいるがこうした情景を十分に伝えている。ご存知のようにこの花は長さで1cmほど、フィルムカメラではバックは完全にぼけて何も分らないだろう。また回転式のレンズを備えるデジカメは低アングル撮影を容易にした。目線を花のレベルに持っていくことで花との対話が可能になる。この花を上から撮ったらつまらない写真になったことだろう。(Nikon E950)

水辺
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春、木々の中で真っ先に芽吹くやなぎ。新芽と思っていたが、こんな可愛い花とはそれまで知らなかった。2cmほどの花穂にピントを合わせながら、水のある柳の周囲の情景をはっきりと描写することが出来た。(Olympus C900)

田植え時
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今年一番に見つけたツユクサ。田植えの終った畦道に一つだけ咲いていた。何時見てもこの小さなブルーは上品で楚々と美しい。今年も田の季節になったことを実感する。私の画像は多くの場合バックに空が入っている。地平線を入れることで画像に奥行きと無限感が生まれる。(Nikon E5700)

蓮華草
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今では田んぼでも殆んど見かけなくなった昔懐かしいレンゲの花。一つの花をこれだけ大写ししたにもかかわらず農家の屋根も入れてレンゲの群落を表現することが出来た。欲張った写真だがこれは決して嵌めこみではない。(Nikon E950)

タンポポ
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見慣れた何処にでもある花だが、この年になっても強い愛着がある。それは子供の頃の懐かしい記憶と深く関わっている。そんなことをイメージしながら駆ける子供と両親の姿を入れた。背の低い野の花のバックに人影を入れるのはアングル的に難しい。(Nikon E5700)

落日
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夕陽をまともに撮らなくても落日は表現出来る。美しいのは太陽そのものと言うよりはその光によって浮かび上がる自然の佇まいであるからである。ここではまともな逆光を厭わず、光る路傍のタンポポの綿毛に焦点をあてた。(Nikon E5700)

チコリブルー
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このメランコリーな花に始めて出会ったのは青森の竜飛岬だった。宿のお姐さんに聞くとキクニガナだと教えてくれた。憂愁に満ちたこの花の美しさをどうやって表現したものか。結局、岬一面をブルーに染めるこの花の群落をバックに一輪の花をアップで捉えた。調べてみるとこの花は英語でchicory、早速このメランコリーな色をチコリブルーと名付けた。(Nikon E950)

タチツボスミレ
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デジカメ一眼レフで撮るとこうなるという例、ピントの合っているのは一つのスミレだけで他はみんなぼけている。辛うじて森の中であろうことは光の加減から判断できる。好き好きだがムードがあっていいという向きもあろう。一眼レフで背の低い草花を取るのは難しい。この時もアングルファインダーを使ったにもかかわらず地面に跪いて顔をこすりつける感じだった。(Nikon D70, Micro Nikkor 60mm)

ノボロギク
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マクロ画像が続いたが必ずしもそんな写真ばかり撮っているわけではない。花からものの1mも離れると画面全体にピントの行き渡った画面を作ることが出来る。この群落はそんなに大きなものではなかったが、広角レンズのアングルの取り方で実際よりも広く見せることが出来た。出来ればもっとワイドなレンズが欲しかったところである。ポイントが欲しくて自転車通学の女学生が通るのを待ってスカイラインに入れた。これでなにか夢のある画面になった。(Nikon E5700)

サクラソウ

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秋が瀬の桜草の自生地に出かけた。自生地とは言えすべては人が植え育てたものである。大変な人出で後悔したが低アングルをとって人影を隠した。これも少しカメラを引いたので全面にピントが行き渡っている。勿論手前のサクラソウにピントを合わせているが後方に深い被写界深度のせいで遠景までピントが合った。(Nikon E950)

ナズナの原
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この写真はオーソドックスでなんのてらいもない。あるものをそのまま素直に撮ったに過ぎない。でも群生するナズナの波打つビロードのような柔らかさが心地よい新鮮な感覚を与えてくれた。遠景の木立や神社の鳥居もいい。この写真をホームページに載せたら、あるビデオプロダクションから来年ここでロケをしたいから場所を教えてくれという依頼があった。勿論教えてあげたが来年同じナズナが生えるとは限らないことを付け加えた。案の定、次の年にはナズナは殆んど生えなかった。自然は待ってはくれない。同じ光景は二度と現れないと言ってよい。(Nikon E950)

花だけをいくらきれいに撮ったところで所詮花の写真に過ぎない。花のある自然や環境を写しこむことで生活や情景が生まれ、物語が生まれる。私はどんな小さな野の花も摘んだことがない。花は野にある時が一番美しいからである。
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by namiheiki | 2005-09-05 22:40 | デジカメ談義