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微細なものを撮る

草むらで細い花茎を伸ばすミズヒキの小さな花を撮ろうとするが何としてもピントが合ってくれない。こんな経験をお持ちではないだろうか?

デジカメのAF機能には限界があって暗いもの、小さなもの、細いもの、コントラストの乏しいものにはピントが合い難い。私の使用カメラはNikon Coolpix 950, 5700とNikon D70だが、共通して言えるのはAF機能に癖があっていったんバックにピントが行ってしまうと何度半押しをやり直しても手前に戻ってくれない。こんな時どうするか?私は自分の左手の甲を被写体とほぼ等距離に置きピントを合わせる。つまりレンズの繰り出し量をあらかじめ引き出して調節しておくのだ。

掌でなく手の甲を使うのには理由がある。被写体にもよるが掌は白いのでAEで露出不足になることがある。また手の甲は皺が多いからピント合わせがより容易である。シャッター半押しでロックしたまま被写体に向けカメラを前後して液晶モニターでピントを合わせてシャッターを切る。ただ液晶モニターは小さいので正確なピントの確認は難しい。それで万全を期するためにはピントが合ったところで一瞬半押しをやめてピントロックを解除する。ついで半押しをするとカメラは狭い範囲でのAF機能を発揮して正確なピントを結んでくれる。これでも駄目な場合が多々ある。解除した途端ピントはバックに行ってしまう。そんな時はAFを諦めて手動に切りかえる。つまり手の甲でピントをロックした後はカメラを前後させながらモニターを見てピントを合わせる。もっとも私は眼が悪いからこれで成功することは少ない。

被写体自体がコントラストの悪い場合、バックにごちゃごちゃとコントラストの強いものがある場合はそれに引きずられて特にピントが合い難い。そんな時は可能な範囲でバックに暗いもの、なるべくフラットなものをもってくるようにする。

クールピクス950と5700ではAF機能の性能は似たようなものだが5700の方が液晶画面が明るく格段に見やすい。D70になると一眼レフファインダーだから明るく見やすいしAF機能もずっと優れている。例えば作例最後のハゼランの写真はD70で初めて可能になった。

ミズヒキ
ミズヒキは写真になり難いものの代表である。この場合は光線状態が良かったので比較的容易にピント合わせが出来た。(Nikon CP5700)
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ヒメコバンソウ
髪の毛のように細い茎、そよ風でもかさこそと揺れる小さな小判、可愛いが撮影に泣かされる被写体だ。(Nikon CP950)
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チヂミザサ
成熟すると叢でズボンの裾に纏いつくあのチヂミザサ、細い花序にはさらに微細な赤い毛のある小穂があり極微の白い花をぶる下げる。これも条件次第では撮影が不可能になる被写体の一つである。逆光で毛が光ってコントラストがついたところでピントを合わせた。(Nikon CP5700)
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ハゼラン
ハゼランの全体像を撮りたかった。バックも複雑だったし、この距離からAFでこの小さな花にピントを結ばせることが出来たのはさすがNikon D70ならではである。もっとも一眼レフファインダーならマニュアルフォーカシングも十分可能だろうが。
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大事なことを申し遅れたが私はAF、AEとも中央重点に設定している。測光、フォーカスとも視野中心で行うわけである。暗いバックで小さな白っぽい花などを撮る時はバックに押されて中央重点測光でも露出がオーバーになることがままある。あらかじめ露出を-0.7位に絞って置くとよい。それだけ早いシャッターが切れる利点もある。

皆さんピント合わせには苦労されておられると思う。工夫して克服されているのだろうけど意外とそんなノウハウを書いたものは見ることはない。お恥ずかしい我流を公開してしまったが、そんな事するよりこうすれば簡単だよという意見をお持ちの方は是非コメント頂ければ幸いである。
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by namiheiki | 2005-09-24 21:49 | デジカメ談義

水と彼岸花

彼岸の中日、晴れ間も戻って見沼代用水路東縁を歩いた。彼岸花が盛りで強烈な存在感だった。彼岸花はあらゆる角度から撮られていてどうしたら新しい視点が得られるのか途方に暮れる。前回は田の黄をバックに選んだ。今回は代用水路の水をバックテーマに選んでみた。アメリカのインディアンサマーを思わせる暑い日ざしだった。水面に映る夏雲をバックに水際の花を撮った。電線の影が無ければ水面とは思えないところが狙いのつもりなのだが・・・

ご存知のように彼岸花は大きいけど大変立体的な花である。ある程度花から離れないと長いおしべ全体にピントを結ばせることが出来ない。使用カメラはNikon Coolpix 5700、これを使ったのには理由があって大きなD70のレンズは代用水路を囲むフェンスの金網の目をくぐれなかったのである。
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by namiheiki | 2005-09-24 16:34 | デジカメ談義

彼岸花の幻想

彼岸花は不思議な花である。何も無かった所にある日突然真っ赤な花を咲かせているのに気づく。それが毎年の事なのに何時もまったく唐突な感じを受ける。Red spider lilyという英語名はこの花にぴったりな感じがする。

地下茎で夏をやり過ごし夏草が勢いを失う今頃になると長い花茎を伸ばしてあっという間に花を咲かせる。花の後は競争者があまりいない秋から冬、花には似つかぬベルトのような葉が茫々と生えて根に栄養を貯えて春には消える。これは自然界のニッチを巧みに掴んだ彼岸花の戦略なんだそうである。

昔は田んぼの畦によく植えられていたが、これは彼岸花の殺虫殺菌作用を期待してのことだったらしい。この花の赤は色づいた稲の黄によく似合う。見沼にはこんな場所が残っている。今年はD70に60ミリのマイクロニッコールをつけて撮ってみた。バックが大仰にぼけて小型CCDデジカメとは違ったちょっと幻想的な風景になった。
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by namiheiki | 2005-09-17 22:17 | デジカメ談義

めだか

メダカも今はなかなか見られなくなった。見沼にもいる筈だが滅多にお目にかかれない。メル友からの情報で加田屋新田のビオトープへ出かけてみた。なるほど浅い澄んだ水辺に数十匹のメダカが群れをなして泳いでいた。ここではホタルの養殖をしているが、このメダカもあるいは放流されたものかも知れない。メダカは絶滅危惧種bに指定されている。次第に人の手で養殖されたものしか見ることが出来なくなるのは悲しい。ひょっとしてこういう情報を流すこと自体が絶滅へ追いやっているのかも知れない。
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メダカによく似た魚でカダヤシがある。1971年にアメリカから文字通り蚊絶やしのために移入されたものである。これによって日本固有のメダカが駆逐されつつあるという説がある。写真のものがメダカかカダヤシかは捕えてみなければ判別はつかない。

話は違うが高地でよく見かけるオオハンゴンソウ、美しいと言ってよいキク科の植物だが、もとは北アメリカの原産で、日本には園芸植物として明治時代に導入された。その後川辺や草原・荒れ地などに広がり、北海道から本州の中部以北の地域を中心に広く帰化している。湿原の周辺などにも侵出して水芭蕉がやられるなど問題になる例も多い。今年は奥日光ではボランティアによって大規模な駆除作戦が行われた。自然のグローバル化、考えさせられる問題である。
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 オオハンゴンソウ(妙高高原にて)
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by namiheiki | 2005-09-14 15:40 | 環境

野の花を撮る

花は野にある時が一番美しい。しばしばはっと心を惹かれのは何でもない路傍の小さい草花である。彼らは何気なく季節を知らせてくれる。土の匂いがして心が通う。その素朴さ、可憐さ、健気さ、逞しさには心を打たれるものがある。

彼らの姿は季節、時間と共に刻々と変化する。だから私は野の花を撮る時はその花の置かれた環境、自然の情景を写し込むことを心がけている。花に焦点を合わせてはいるが表現したいのは花の咲く自然である。花だけ撮ってもつまらない。それは美しいかもしれないが生命の営みが感じられない。花屋や室内の園芸品種は人工のアクセサリーと同じに見える。

デジカメの出現は衝撃的だった。小さなCCDを持つデジカメはそれまでのフィルムカメラに無かった深い被写界深度を持っていた。だからマクロ撮影が容易になったし、小さな野の花でもクローズアップしながらバックの風景を写し込むことが可能になった。最近デジタル一眼レフが普及してデジカメもフィルムカメラに逆戻りした感がある。それはそれなりの意味があると思うが小型CCDデジカメの優れた長所は決して無くならないだろう。

早春の朝
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朝露を浴びたホトケノザ、春特有の靄に包まれた柔らかな空気感。バックはぼけてはいるがこうした情景を十分に伝えている。ご存知のようにこの花は長さで1cmほど、フィルムカメラではバックは完全にぼけて何も分らないだろう。また回転式のレンズを備えるデジカメは低アングル撮影を容易にした。目線を花のレベルに持っていくことで花との対話が可能になる。この花を上から撮ったらつまらない写真になったことだろう。(Nikon E950)

水辺
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春、木々の中で真っ先に芽吹くやなぎ。新芽と思っていたが、こんな可愛い花とはそれまで知らなかった。2cmほどの花穂にピントを合わせながら、水のある柳の周囲の情景をはっきりと描写することが出来た。(Olympus C900)

田植え時
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今年一番に見つけたツユクサ。田植えの終った畦道に一つだけ咲いていた。何時見てもこの小さなブルーは上品で楚々と美しい。今年も田の季節になったことを実感する。私の画像は多くの場合バックに空が入っている。地平線を入れることで画像に奥行きと無限感が生まれる。(Nikon E5700)

蓮華草
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今では田んぼでも殆んど見かけなくなった昔懐かしいレンゲの花。一つの花をこれだけ大写ししたにもかかわらず農家の屋根も入れてレンゲの群落を表現することが出来た。欲張った写真だがこれは決して嵌めこみではない。(Nikon E950)

タンポポ
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見慣れた何処にでもある花だが、この年になっても強い愛着がある。それは子供の頃の懐かしい記憶と深く関わっている。そんなことをイメージしながら駆ける子供と両親の姿を入れた。背の低い野の花のバックに人影を入れるのはアングル的に難しい。(Nikon E5700)

落日
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夕陽をまともに撮らなくても落日は表現出来る。美しいのは太陽そのものと言うよりはその光によって浮かび上がる自然の佇まいであるからである。ここではまともな逆光を厭わず、光る路傍のタンポポの綿毛に焦点をあてた。(Nikon E5700)

チコリブルー
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このメランコリーな花に始めて出会ったのは青森の竜飛岬だった。宿のお姐さんに聞くとキクニガナだと教えてくれた。憂愁に満ちたこの花の美しさをどうやって表現したものか。結局、岬一面をブルーに染めるこの花の群落をバックに一輪の花をアップで捉えた。調べてみるとこの花は英語でchicory、早速このメランコリーな色をチコリブルーと名付けた。(Nikon E950)

タチツボスミレ
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デジカメ一眼レフで撮るとこうなるという例、ピントの合っているのは一つのスミレだけで他はみんなぼけている。辛うじて森の中であろうことは光の加減から判断できる。好き好きだがムードがあっていいという向きもあろう。一眼レフで背の低い草花を取るのは難しい。この時もアングルファインダーを使ったにもかかわらず地面に跪いて顔をこすりつける感じだった。(Nikon D70, Micro Nikkor 60mm)

ノボロギク
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マクロ画像が続いたが必ずしもそんな写真ばかり撮っているわけではない。花からものの1mも離れると画面全体にピントの行き渡った画面を作ることが出来る。この群落はそんなに大きなものではなかったが、広角レンズのアングルの取り方で実際よりも広く見せることが出来た。出来ればもっとワイドなレンズが欲しかったところである。ポイントが欲しくて自転車通学の女学生が通るのを待ってスカイラインに入れた。これでなにか夢のある画面になった。(Nikon E5700)

サクラソウ

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秋が瀬の桜草の自生地に出かけた。自生地とは言えすべては人が植え育てたものである。大変な人出で後悔したが低アングルをとって人影を隠した。これも少しカメラを引いたので全面にピントが行き渡っている。勿論手前のサクラソウにピントを合わせているが後方に深い被写界深度のせいで遠景までピントが合った。(Nikon E950)

ナズナの原
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この写真はオーソドックスでなんのてらいもない。あるものをそのまま素直に撮ったに過ぎない。でも群生するナズナの波打つビロードのような柔らかさが心地よい新鮮な感覚を与えてくれた。遠景の木立や神社の鳥居もいい。この写真をホームページに載せたら、あるビデオプロダクションから来年ここでロケをしたいから場所を教えてくれという依頼があった。勿論教えてあげたが来年同じナズナが生えるとは限らないことを付け加えた。案の定、次の年にはナズナは殆んど生えなかった。自然は待ってはくれない。同じ光景は二度と現れないと言ってよい。(Nikon E950)

花だけをいくらきれいに撮ったところで所詮花の写真に過ぎない。花のある自然や環境を写しこむことで生活や情景が生まれ、物語が生まれる。私はどんな小さな野の花も摘んだことがない。花は野にある時が一番美しいからである。
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by namiheiki | 2005-09-05 22:40 | デジカメ談義

動きを表現する

じっくり型の私はこのテーマは苦手である。意識的に動きの早いものを狙ったショットは大抵は失敗である。でも過去のショットを振り返ってみるとまあまあと言うのが何枚かあった。また偶然に動きの表現につながったと思えるものもあった。恥ずかしいのだが今回はあえてそれらをご紹介しよう。

流鏑馬
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もう6年にもなるだろうか、偶然の機会に埼玉県の毛呂山町でこの町の出雲伊波比(いずもいわい)神社の流鏑馬祭りに遭遇した。馬上の凛々しい美少年に見惚れた。秋の日暮れは早く薄暗い境内は光量が十分でなかった。それにその頃のデジカメは性能が今ひとつだった。光学ファインダーはついていたが(Olympus C900)、1/20秒位のシャッタースピードしか切れなかったと思う。いよいよ順番が来て的馬場に向かう瞬間が来た。口取りの馬子に引かれて掛け声とともに馬が動き出した。その瞬間さっと乗り子の少年の顔に緊張感が走った。馬の動きに合わせてカメラを流してスローシャッターを切った。撮影条件の不十分がもたらした怪我の功名で動感が出たと思っている。技術的にはシャッターを押し込む力に押されて動線が右下がりになってしまったのが残念である。

飛翔
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3月に入ると白鳥たちは北帰行のためのウォーミングアップで飛ぶことが多くなると聞いて川本町の荒川べりに足をのばした。現地に着くや二羽の白鳥が川の上空を西から東に向けて飛ぶのを目撃した。慌ててカメラを向けて遅ればせながらオート設定の流し撮りでシャッターを切った。白鳥の飛ぶスピードは相当に速い。視野に入れるのが精一杯だった。シャッタースピードは記憶していないがこの明るさだから1/100秒位ではなかったかと思う。それでもバックは十分に流れていた。この後長いこと待ったが白鳥の飛ぶ姿を見ることは二度となかった。唯一のシャッターチャンスだった。カメラはNikon Coolpix 950、このカメラは光学ファインダーがついている。液晶モニターで動きを追うのは無理だろう。
最近になってPhotoshop2.0の機能を使って飛ぶ白鳥をパソコン上で作った流し画面に貼り付けてみた。でもこの写真に見られるような躍動感は決して得られないことを知った。


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白鳥が出たついでに今年Nikon D70に210ミリ望遠をつけて撮ったものをお目にかけよう。高感度設定でシャッタースピード2000分の1秒、水滴の一つ一つまで止まって見える。デジカメも進歩したものだ。白鳥も止まっているがその形から躍動感は伝わって来よう。長時間の待ちには三脚の使用が便利である。
白鳥は親しい家族同士、仲間同士でこのように唱和することがある。仲間の絆を高めているのだという。

子育て
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庭の巣箱に営巣した四十雀の餌運びをD70望遠で狙った。巣から出る時は大抵雛の糞を咥えている。飛び立ちの瞬間は早く視野内で飛んでいる時間はほんの一瞬、恐らく0.1秒以下だろう。飛んだ瞬間にシャッターを押しても大抵は何も写っていない。飛ぶ気配を感じたらシャッターを切る。連写はやっていないが恐らく普通の連写では無理だろう。マニュアルでピントはあらかじめ巣箱前20cmに合わせておき1/1000秒を切ったがピンボケ写真が出来た。ピントだろうか動体ブレだろうかよく分らない。三脚は使っている。折角鳥の形はいいのに残念である。なおこの撮影は4m位の距離からだったが一眼レフのシャッター音を鳥は感知するようだ。鳥を神経質にさせたくないものだ。

アゲハチョウ
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これも6年前Olympus C900での作品、闇雲にデジカメを振り回して変幻自在に飛び回る蝶を追った。蝶がどうやら画面に入っていた唯一の写真。動感があると言えばあるが、これは偶然の所産と言った方がいいだろう。初心者は何も恐れることなく自由な発想で自由な表現をしたいものだ。フィルム代のかからないデジカメはそれを可能にしてくれた。でも最近のデジカメのように光学ファインダーのないカメラではこれは無理かもしれない。

春の風
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風になびく柳、風の表現としては昔からあるテーマでとくにコメントすることもないが、ここでは子供達の動きがポイントになる。子供たちが駈けてくれたら良かったのにと身勝手に残念がっている。(Nikon Coolpix 5700)
重複になるので画像は載せないが「雲を撮る」(8月8日)の北風のとぶような雲の動き、風になびくエノコログサの写真も動感のある写真の例である。

古代蓮
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これもごく初期の作品、蓮だけでは何の面白みもないが、蓮に飛び込む二匹の花虻を捉えたことで画面に動きが出た。虻を追っていたのではこの瞬間は撮れない。たまたま形のよい蓮にピントを合わせていたら虻が飛び込んで来てくれた。このような瞬間を捉えるには普通は長時間の待ちが必要だろう。幸運としか言いようがない。(Olympus C900)

駿河台下
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この画面ではとくに大きく動くものは見当たらない。でも画面には躍動感がある。何故だろう?それはビルの壁に斜めに大きく映る銀杏の影である。その影は散る銀杏の葉を際立たせ吹く秋の風をダイナミックに表現した。動きを表現するのに必ずしも動いている被写体は必要でない。写真の奥深さと言うより、人の感性の豊かさ、自在さに驚く。(Olympus C900)

こうして見ると今回は私のデジカメ初期の作品が多いのに気付く。デジカメを始めて手にした時の新鮮な若々しい感動が今は消えてしまったのだろうか。年とともに体力、気力の衰えが動きの少ない静止画像に向かわせたのだろうか。枯淡の境地には早過ぎる。反省しきりである。
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by namiheiki | 2005-09-02 22:32 | デジカメ談義