太陽を撮る

真っ赤に燃えて落ちる太陽、きれいな色!と思ってカメラを向ける。ところが太陽は真っ白にとんでしまっている。あるいは真っ黒な画面に太陽だけが懐中電灯のように光っている。そんな経験をどなたもお持ちのことだろう。人の眼は実に巧妙に出来ていて視野の調節、ピント合わせ、光量の調節を瞬時にやってのける。ところが人の作ったカメラはそうはいかない。フィルムカメラは勿論、デジカメでは尚更この辺はさっぱりである。太陽の明るさは絶大であるから周辺の明るさとの開きが大きくフィルムでもデジカメのCCDでも露出許容度lattitudeに限界があり両方をカバーすることは出来ない。狙った意図を表現するにはこうしたカメラの特性なり弱点をよく理解してかかることが必要になってくる。

最初の作例はずばり夕日そのものを撮ったものだ。写真そのものは太陽が大きく写っているだけでつまらぬものだが、このように太陽が赤く撮れるにはいろんな条件を満たさなければならない。この条件とは太陽が特別厚い空気の層を通過して光量を著しく減じたときである。それは日没または日の出の地平線に近い位置にあることを意味する。でもそれだけでは十分ではない。湿度が高く空気中の水蒸気の粒子が多い、あるいはスモッグのように水蒸気以外の分子の粒子が多く光が吸収あるいは散乱されている必要がある。具体的にはこうした条件は春から夏にかけてである。薄曇りで風の無いことが条件になる。秋から冬にかけては空気が澄んでいるから太陽は地平線に隠れるまでぎらぎらと眩しく輝いている。
作例はこの8月に撮ったものだ。10倍ズーム、4倍デジタルズームのコンパクトデジカメで橋の手摺りにカメラを押し付け望遠側一杯で手持ちで撮影した。光量は少ないし望遠だから手ブレには気をつける。何枚かシャッターを切ったがなんとか色を出せたのは太陽が隠れる寸前の二三枚だけだった。時間にして数十秒、実は近くでムクドリの群れが舞っていてそれを入れたかったのだが、限られた時間で狭い写角にうまく入ってはくれなかった。そんなことはまず望めないチャンスだったろう。
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次の作例はまだ春浅い日の夕暮れの土手道である。太陽が赤く見える条件は満たしているように見えたがまだその位置が高かったらしい。太陽は白くとんでしまった。でも夕焼けの赤い空のムードは描写出来たようだ。露出は太陽に合わせると真っ黒になってしまう。少しずらせた夕焼け空にあわせた。私はAE機能を利用するが中央重点に設定しておいてファインダー中央で露出を合わせている。全面測光では太陽が入って露出不足になるだろう。なお犬を散歩させる人影は同時に何枚か撮った中からの嵌め込みである。こういう手はあまり使いたくはないのだがなかなか人も太陽もぴったりというわけにいかないのが現実である。レタッチも楽しみの内である。
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ぎらぎらと光る夏の太陽が沈む。手前に稲田の防鳥ネットが光っていた。微妙に光る幾何学的なネットの模様を利用して太陽の光を表現してみた。露出は光るネットに合わせた。太陽は勿論、空もとんでしまったがネットを使って光そのものは描写出来たと思っている。
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西に傾いた日をめがけてハングライダーが飛んできた。空は薄雲でヘイズがかかって太陽の光は柔らかだった。一瞬ためらったが太陽を中心に入れて闇雲にシャッターをきった。画像は太陽は勿論真っ白にとんでいたが明るさのために数倍大きな太陽のように見えた。ハングライダーが飲み込まれそうで思わぬ効果が出た。カメラを信頼してどんどん撮ることである。
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晩秋、遠くの大木の梢に落ちる太陽、典型的な冬の武蔵野の風景である。手前のオギの穂が効いているが、実はこれも近くで撮ったものを嵌め込んだ。バックが真っ黒なので嵌め込みは極めて容易である。
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主題は葉を落とした冬の林の木々の大きなシルエットである。今まさに林の彼方に落ちんとする夕日がここでは脇役に甘んじて伴奏を務めている。
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冬の季節風の強い日は大気は澄み切って太陽は沈むまで眩しく輝き続ける。この日も遠くの富士山がくっきりと見渡せた。スカイラインはさいたま新都心だが手前の休耕田まである程度の諧調描写がされていてCCDの進歩を伺わせる。ちなみにこのデジ一眼は大型のCCDを備えている。
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初秋の頃だったかちょうど日が沈むところに出会った。空はきれいに澄んでいて雲ひとつ無かった。写真を諦めて空を鑑賞していると向こうから飛行機雲が近づいて来た。これこれと十分に引きつけてシャッターをきった。たった一つの瑕のような小さな飛行機雲で写真が生きる。写真って不思議なものである。
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水は空を映す。夕日の前景は黒いシルエットになるのが相場だが、もしそこに水があると話は違ってくる。立体感や遠近感をつくってくれる。ここでは初夏の田植え風景を前景に持って来た。美しい入日が田の水に反射して働く人の生活感を浮かび上がらせた。
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水に映る空は美しい。水に映る映像だけで夕日を表現することも可能である。ここでは釣り人の姿をシルエットで入れることで画面にアクセントが出来たし生活感も生まれた。
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マクロ撮影で夕日を撮る!こんな嘘みたいなことも可能である。道端のタンポポの綿毛にピントを合わせた。綿毛が夕日を浴びて赤く染まっていたからである。思い切って画面に入れた夕日は白くとんでしまったがその存在感は強烈だった。
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ぎらぎらの真昼の太陽にレンズを向ける人は稀だろう。でも強烈な夏空の表現などには効果がある。もちろん太陽は真っ白になるが、今のレンズは太陽の光くらいではびくともしないし光媒体ははっきりとその存在を捉える。作例は強風で千切れ飛ぶ白雲であるが太陽をアクセントに使ってダイナミックな感じを表現した。露出は白い雲に合わせた。
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朝寝坊の私は日の出の遅い冬を除いてあまり朝日にお目にかかったことがない。作例は朝靄のたなびく冬の田園風景である。これを夕日と間違える人は少ないだろう。朝は朝靄がたなびいているからである。このあたりは川が流れていて川霧が出易い。
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最後は冬の那須高原の朝である。旅館の屋根から下がる大きなツララを前景に持ってくることで単調を避けた。太陽の光が氷柱で屈折して輝く様を主題にした。
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その強烈な光ゆえに美しい太陽の映像を記録することは難しい。あらゆるエネルギーの根源である太陽はあらゆる美の源でもある。ここに記したのはささやかな私の挑戦の一端にすぎないが、こんなトライもあるのかと思っていただければ幸いである。
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# by namiheiki | 2006-08-14 11:33 | デジカメ談義

印象的な色

この映画をご覧になった方はもうかなりのご年配かもしれない。戦後まだカラー映画が珍しかった頃だ。「天国への階段」というイギリス映画があった。冒頭モノクロームの天国から一輪のバラが地上へと落ちるシーンがある。バラが地上に近づくに従って色が付き始めやがて真っ赤なバラが地上に落ちる。女主人公がこれを拾うところから物語は始まる。(脚註参照)
モノクロームの中にただ一つの色、これは空想と現実を繋ぐ役を担って効果的である。画面が幻想的に見えるのはそのためだ。私の写真の中でもそんな例は数少ない。それをご紹介しよう。

湖畔 先月奥日光を訪ねた。朝5時に目が覚めて薄明の湯の湖の湖畔を散歩した。梅雨時のこととて雲は低くたれこめ死んだように風も無かった。美しい朝の光を期待していたのでいささかがっかりした。見ると冬の間クローズしていたボートハウスの前にはシーズンとあって沢山の白いボートが繋がれていた。よくある構図であまり気が進まなかったが取り敢えず1枚シャッターを切った。ボートには黄色いペンキを塗ったものがあり、その時はぶち壊しの色に思えた。なるべく目立たないようにと隅に追いやった。
 帰宅してパソコンで画像を見てはっとした。黄色が効いている!モノトーンの画面の中でこの黄色は控え目ながら渋いアクセントになっていたのである。
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 柿右衛門ではないが柿の色は美しい。この美しい色を際立たせるには雪景色の中で撮るのが一番である。渋柿は冬になっても木の枝に残っているからこんな風景も可能である。降る雪を描写するには暗いバックが必要である。
 雪に落ちた牡丹、サザンカに積もる雪、紅葉を彩る雪も同じように意外性と新鮮さがある。でも降雪の中での撮影は注意を要する。レンズに雪がかかるからである。これについては前に書いたように思うので省略する。
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大晦日 雪はモノクロの世界をお膳立てする。一昨年は大晦日の午後から雪になった。神社は初詣客を迎える準備で忙しそうだった。雪の中で朱塗りの門は常にも増して壮麗に見えた。数時間後にはこの境内は善男善女で溢れるのだろう。
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飛び立つ 真冬の川面でのショットである。餌を狙っていたアオサギが近づくカメラを嫌って飛び立った瞬間である。モノトーンの暗い画面で唯一の色は朝の空を映した水面の僅かな赤色である。この画像は「幻想的な写真を撮る」でも紹介した。モノトーンの写真はしばしば幻想に通じる。
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【註】(06/08/14) アメリカに住む友人のご好意で「天国への階段」のDVDを送って頂いた。天国から落ちるバラのシーンはなかった。どうも他の映画のシーンとダブって記憶していたらしい。その映画の題名は思い出せない。ご存知の方はコメント頂ければ幸いです。
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# by namiheiki | 2006-07-08 15:42 | デジカメ談義

春の日光植物園

冬の間クローズしていた日光植物園が春の訪れとともに4月15日開園した。春を求めてゴーバック!ゴールデンウィーク直前の4月28日園を訪れた。初夏や秋に来たことはあるが春は始めてである。

日光連山の水を集めて奔流となって流れ下る大谷川の渓谷、憾満が淵に望む変化に富んだ広大な敷地に園はある。自然の景観を生かした環境に自然のままに高山植物を中心とする多彩な植物が息づいている。

この植物園は東京大学小石川植物園の分園として1902年に創設された。その後田母沢の大正天皇の御用邸の敷地の一部を下賜されて現在の姿になったという。約2200種の高山、亜寒帯、温帯の植物が蒐集保存されている。

園内に足を踏み入れると木々の新鮮な香りと静寂が迎えてくれる。見晴らしの良い中央の広い庭園の前には鳴虫山をバックに桜の木を配した如何にも日光らしい風景が広がっている。
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反対側に目を転ずると残雪の女峰山をバックに瀟洒な研究棟が建つ。ちょっとエキゾチックな風景である。こんな所で研究出来るなんて羨ましい。
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桜と一緒にツツジが盛りだった。ヒカゲツツジ、ナンゴクミツバツツジ、ヤシオツツジなど平地ではお目にかかれぬ種類だった。山のツツジは色が淡白、半透明で繊細な美しさがある。
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園内のいたる所に見事なニリンソウの群落が見られた。苞葉は白いだけではなく裏面に微妙な淡い紫紅の翳があって気品を際立たせている。
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ミヤマカタバミの群落も目を惹いた。同じカタバミでもどうして山の花は品があって美しいのだろうか?
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湿地の池にはちょっと遅かったが水芭蕉が咲いていた。池面をエンコウソウの強烈な黄色が彩っていた。ちょっと珍しい黄色いアメリカミズバショウも咲いていた。でもミズバショウはやっぱり白が良い。
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その他目ぼしい野草をあげてみる。
ヤマエンゴサク ケシ科で平地に咲くムラサキケマンに似るが背丈ははるかに低いし、花数も少ない。でもその色はなんとも言えず絶品である。
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フデリンドウ 春咲きのリンドウでそれも最初の一輪と見受けた。
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ハイムラサキ(這い紫)、ムラサキ科で青みのものと赤みの花が混じっているのが面白い。
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ショウジョウバカマはちょっと時期が遅く色が褪せていた。
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ヒトリシズカ 最後になったが義経の妻で数奇の運命を辿った静御前の名を冠した楚々たる花、四枚の暗色の葉に包まれて蕚も花弁も無い物悲しい姿だった。もう数日して葉が開くと優雅な舞い姿になるのかも知れぬ。
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この他カタクリ、コキンバイ、タンチョウソウ、トキワナズナ、ミツバオウレンなどもカメラに収めたが又の機会に譲ることにしよう。一日かけても園の植物のすべてをを見尽くすことは出来ない。
帰りは清滝のやしおの湯につかり快い疲れを癒した。清滝はソメイヨシノが満開を迎えていた。植物園入園料330円、温泉入浴料300円、それにビール代少々の清遊だった。
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# by namiheiki | 2006-05-02 15:52 |