人気ブログランキング | 話題のタグを見る

花の群落を撮る

クリンソウは学名Primula japonica、プリムラ属の植物である。この仲間には有名なサクラソウも含まれる。日光の中禅寺湖畔に自生するものを今では個人が保護育成している。一昨年6月に訪れる機会があったがそれは見事な群落だった。もう日は傾いて林の中は薄暗かったし湖からの霧も迫って来た。でもデジカメ一眼レフ28ミリ広角(35ミリ換算)で全容を写し込むことが出来た。幸いこの花はかなり大きな部類なので一番手前の花にピントを合わせてもバックのほぼ全体にピントが行きわたった。花の細部の形を描写しなお且つ群落の全体を表現するには広角レンズが必須である。写角が広いだけでなく焦点深度が深いからである。この時のレンズから手前の花までの距離は1メートル強だっただろうか、これより近寄ればバックがぼけて描写が不足するという限界だった。花だけ大きく撮ることはそう難しいことではない。でも同時に環境を写し込むことはそう簡単ではない。
花の群落を撮る_c0068924_1551555.jpg

余談だがこの写真はアメリカの学術書出版社から掲載許可の依頼があった。なんでもクリンソウは皮膚疾患を起こすらしくその本はDermatology(皮膚病学)の専門書だった。

このニリンソウの群落には上高地の明神池近くで出会った。群落全体を写したい、しかしそれだけでは迫力に欠ける。あまり大きくはない花そのものを大きく描写したい。苦肉の策がコラージュである。画面中央下部の比較的大きな花は同時に撮った別のショットからコピー&ペーストした。これで画面に奥行きを出すことが出来たと思っている。こんな小細工が良いか悪いかは人によって評価が分かれるところだろう。
花の群落を撮る_c0068924_1572958.jpg

次のカタクリは有名な栃木の群生保存地区で撮ったものだ。この場所は中心部にあり誰もが狙う場所でもある。これも手前の花に同じような細工がしてある。どの花がペーストか当ててみるのも一興だろう。
花の群落を撮る_c0068924_1581562.jpg

日光で見かけたトキワナズナ、一名雛草とも言われる北米原産のアカネ科の植物。直径1センチそこそこの小さな花である。大きな群落に見えるが奥行き2メートルほどのものである。多少カメラを引いて(数十センチ)全体を描写した。光の当たっているところと影の部分が斜めに区切られて単調から救われた。花だけでなく一部花茎が林立して見えているところも気に入った。
花の群落を撮る_c0068924_1593376.jpg

何処にでもあるオオイヌノフグリ、田の畦の斜面のごく小さな群落だが撮りようで大きく見える。小さな花のマクロ撮影にもかかわらず青い空をバックにしたスケールの大きな写真になった。カメラは最近ゲットしたNikon Coolpix S4だがこのカメラは広角側(38mm)で4センチのマクロ撮影が可能でこうした撮影には好適である。
花の群落を撮る_c0068924_15103579.jpg

ヒメオドリコソウもごく小さな花だが、ここでは花を大写しすることは諦めて群落の表現に切り替えた。この草の特徴ある姿が群生によって強調された。遠景の田園風景も環境をよく表わしている。
花の群落を撮る_c0068924_1511950.jpg

ノボロギクに興味のある人は多くはないだろう。キク科だが舌状花が無く目立たない。でもみすぼらしい綿毛が美しく見える時期がある。傾斜地の群落だったので奥行きを出すのに好都合だった。でもバックが物足りない。折りよく通りかかった通学途中の女学生の自転車を入れた。誰も振り向かない平凡な風景にもかかわらずなんとなく夢のある画面になった。
花の群落を撮る_c0068924_15122084.jpg

このように傾斜地は画面の奥行きを出すのにしばしば好都合である。湿った土手の斜面に自生するチガヤだが手前の斜面と遠くの斜面が斜めに交差してダイナミックな立体感が出た。
花の群落を撮る_c0068924_151345.jpg

畑の畦のような小さな起伏でも同じ手法が使える。さして大きくないイヌタデの群落だが畦の小さな段差を利用して変化をつけた。地平線の林や雲を入れることで風景写真になった。
花の群落を撮る_c0068924_15142398.jpg

珍しいキツネノカミソリの自生地だが手前の花をクローズアップしながら斜面を利用して立ち上げたバックに群落を取り込んだ。この場合バックが適当にぼけることで主題の花が生きた。
花の群落を撮る_c0068924_15145281.jpg

平坦な場所でも花の背丈があれば主題の花を強調しながら群落の広がりを表現することは可能である。次の写真は平らなヒナゲシ畑でのショットである。バックはアウトフォーカスだが雰囲気は十分に伝えている。
花の群落を撮る_c0068924_15152418.jpg

小さなレンゲソウをクローズアップしてかつ群落や環境を伝えることが出来るだろうか?次の例は小さな花のクローズアップにもかかわらず背後の群落や農家の屋根まで取り込んでいる。小さな焦点距離を持つデジカメにして始めて可能な表現である。信じられないかも知れないがこれは嵌め込みではない。
花の群落を撮る_c0068924_15162362.jpg

ぼかしついでにここでは意図的に望遠レンズを使って群落を表現した例を挙げる。菜の花の群生の一点にフォーカスして前後はぼけている。ムード派好みで私はあまり好きではないがこんな撮り方でも群落を表現することは出来る。
花の群落を撮る_c0068924_1519319.jpg

最後の数例はオーソドックスな群落の撮り方である。ホトケノザ、イヌガラシ、ナズナ、ナノハナ、ラベンダーの例を挙げる。個々の花の詳細描写にはこだわらず群落全体を見渡す。撮影は難しくは無い。ある程度カメラを引き、俯瞰位置で奥行きを出す。2、3メートル先にピントを合わせると画面全体にピントが行きわたる。定型的な写真になるからここでものを言うのは遠景に何を持って来るかだろう。雲をポイントにするのでなければ空はなるべく控え目に入れるのがよい。人、家畜、電車、林、田園など季節感や生活感のあるものを入れたい。
花の群落を撮る_c0068924_15204676.jpg

花の群落を撮る_c0068924_15211389.jpg

花の群落を撮る_c0068924_15214193.jpg

花の群落を撮る_c0068924_15225365.jpg

花の群落を撮る_c0068924_1621275.jpg

必ずしも有名な観光地にシーズンの人混みに押されて行くことはない。どんな花でも群落を形成することで素晴らしい景観を生み出す。休耕地やちょっとした空地にある日あっという間に野草の群落が出現して驚くことがある。野草の生態系は年毎に変わる。二年と続けて同じ群落が現れるとは限らない。だから毎年足で探すしかない。写真は足で撮ると割り切ることである。目的を持って歩くと苦にならない。何より歩くことは健康に良い。
# by namiheiki | 2006-03-22 15:39 | デジカメ談義

足跡

かみさんの歌がさる新聞の歌壇に掲載された。
    新雪の夜明けの疎林は点々と兎跳ねゆきし凹み新らし  美智子
足跡_c0068924_18151093.jpg

画像は那須高原にて '05/02/09
# by namiheiki | 2006-02-25 18:26 |

冬の鹿沢高原と塩田平

2月1日、私の住む大宮から長野新幹線で1時間10分、上田で降りる。迎えのバスで1時間、途中鳥居峠を越えて群馬県に入り、あっと言う間に雪の舞う嬬恋村鹿沢に着いた。
翌朝は晴れた。北向きのこの宿は朝日の射すのが遅い。8時過ぎやっと東の山の背後から朝の光が斜めに射し込んだ。落葉松の梢の霧氷がきれいに浮び上がった。このこんもりした山は村上山と言いこれに登れば浅間山が見えると言う。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_15534652.jpg

宿の左手の山は陽を正面から受けて輝いていた。名前を聞き漏らしたがこの反対側はスキーゲレンデになっているらしい。ベタ光線だが雪の山はそれなりに威厳がある。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_15564066.jpg

宿の周りの自然園をラッセル無しで歩ける範囲で歩く。風が吹いて木枝の霧氷が舞った。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_15574138.jpg

昼になると宿の南側の庇の氷柱から融けた水滴が忙しく降り落ちた。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_1558990.jpg

午後になって北の雲が上がり遠く草津、万座、志賀の山々が望めた。横手山が一際白く見えた。頂上のアンテナ塔が懐かしい。あの山にはその昔スキーツアーで何度も登った思い出がある。あのアンテナは50年も前からあそこにあった。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_1613156.jpg

北西の雲が切れて白い四阿山が間近に見えた。その左肩に根子岳も少しだけ顔を出している。あの辺りはよくスキーに行った菅平高原、スキーの手ほどきを受けた場所でもある。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_15591681.jpg

翌朝は朝焼けがきれいだった。嬬恋村に陽が射し込み夜が明けた。背後に遠く草津や志賀の山々が姿を見せた。ゲレンデの見えるのが本白根山である。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_1613459.jpg

冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_16135391.jpg

天気は下り坂、昼前に山を降りた。上田駅から上田電鉄別所線の電車に乗った。かねてから訪れたいと思っていた無言館が目的だった。塩田町で電車を降りる。無人駅を出るとタクシーが一台人待ち顔に止っていた。私達が歩き出すとタクシーは私達を追い抜いて走り去った。電車を降りたのは私達だけだったのだ。小さな町を抜け広がる田畑の中を南に向うこと40分、山裾の小高い丘の上に無言館はあった。
冬の鹿沢高原と塩田平_c0068924_16151289.jpg

無言館「戦没画学生慰霊美術館」は中世の僧院を思わせるような窓も装飾も殆んど無い建物だった。コンクリート打ち放しの壁に無言館の文字が刻まれていた。人ひとりが通れる小さな
木の扉を開けると受付もなくいきなり暗い館内だった。60年前のあの忌まわしい戦争で夭折した若い画学生の作品や遺品が展示されていた。妻や家族を画いた絵に託した彼らのぎりぎりの想いが伝わって胸が詰まった。暖房も無い館内はシンとして声も無く重い雰囲気だった。数人の来館者がいたが殆んどが私達より上と思われる年配の方々だった。「また来よう」と隣に立ったご婦人が呟いた。出口に若者が一人座っていた。志をドネートして外へ出た。山から吹き降ろす冷たい風が私達に吹きつけた。翳った空から雪も舞って来た。とうとうこの日も浅間は姿を見せなかった。
# by namiheiki | 2006-02-19 16:43 |