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冬の那須高原

2月8日ら10日にかけて那須の弁天温泉に泊まった。2泊で1万円という格安料金である。黒磯駅からバスで1時間ほど、湯元でバスはチェーンをつける。今年は例年になく雪が多い。茶臼岳基部の高台にあるこの宿は東南に広がる奥久慈の低い山々を一望出来る。

夕刻到着すると部屋の窓からは低い雪雲が雲海となって幻想的に広がっていた。中腹にあるホテルが海原に浮かぶ船のように見えた。
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翌朝は快晴、6時半に日の出を迎えた。地平線のかなたからのご来光だった。軒から下がる無数のつららに朝の光が輝いてきれいだった。とくに浴室の窓のつららはには巨大だった。年配のご婦人が窓ガラス越しにさかんにストロボをたいている。注意してあげると「どうしたらいいのですか?」と聞く。見ると最新のデジカメだったがオートにセットされていた。

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宿から5分ほど歩くと2本のスキーリフトがあるファミリーゲレンデがある。初中級者向きのスロープだが年寄りには丁度良い。ともかくいったん転ぶと起き上がるのが容易でないのだから・・・何年ぶりかでスキーを履いたがまだ腕(足?)は確かだった。最近のスキーは軽く短く先端はスノーボードのように丸い。

リフトの上から見る雪面の木影がきれいだった。特徴ある野うさぎの足跡。茶臼岳や朝日岳の山頂も間近かに望まれた。若い頃スキーをかついで茶臼岳の中腹まで登ったのを懐かしく思い出した。

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# by namiheiki | 2005-03-18 09:34 |

冬の湯の湖

懐かしい日光
貴重かつ詳細ななデータを有難うございました。自分の生死に関わったことなのにいま始めて知りました。建築学会の書籍にそんなデータが載っているのですね。死者1001人の中に入っていたら今の私も子供や孫たちもいなかったわけですから人生って不思議ですね。

さて「懐かしい日光」ですが、大学卒業の翌年、昭和29年に私も沼田から丸沼、菅沼を通って金精峠を越えて奥日光に入っています。前後して歩いていたかもしれませんね。懐かしい話です。えっ、誰と?・・・それは家内にも内緒です。

雪の湯の湖の写真を忘れていたので添付します。湯の湖は湧き出る温泉のために全面凍結はしません。

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# by namiheiki | 2005-03-14 22:05 |

早春の日光

埼玉の自宅から交通の便も良いので日光にはよく行く。本当は新緑や紅葉のシーズンに行きたいのはやまやまだが、混雑が嫌いで人の行かないオフを狙う。宿もすいているし、ゆっくりと自然と向き合えるのが何より良い。オフならではの発見もある。

東京では4月の陽気となった3月8日、日光湯元温泉に一泊した。雪はまだ50センチから1メートルはあり、さすがに吹く風は冷たかった。凍結した雪に足をとられながら湯の湖畔から源泉を散策した。雪は深かったが雪の下の水の流れやミズナラや樺の木々の梢に春の息吹きが感じられた。温泉寺の鐘楼の屋根に積もった雪の厚さに驚く。


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翌日、竜頭の滝でバスを降り滝を見物する。強風で飛ばされそうだった。中禅寺湖の湖面が波立って荒れていた。次のバスを待つ1時間の長く寒かったこと。下から三脚を担ぎアイゼンをつけて滝の側道を登って来た老紳士がいた。中禅寺湖から2時間をかけて登って来たという。
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いろは坂を下り日光の町の手前、大正天皇の旧御用邸のある田母沢でバスを降り、大谷川を渡って憾満ヶ淵へ向かう。ここの並び地蔵は百体地蔵、化け地蔵とも呼ばれている。憾満ヶ淵の細道に並んだ地蔵は不思議な魅力を湛えて人を惹き付ける。慈眼大師天海の弟子百余名の作と伝えられる地蔵群は数える人によって数がまちまちであることから化け地蔵の名がついたという。洪水や風化で流されてしまったものや首の無いものもあって長い歳月を感じさせる。雪の残るこの時期、背後の杉木立から漏れる日を背中に受けて、苔むした石仏は緑の衣を纏っているように見えた。
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# by namiheiki | 2005-03-10 11:57 |